宮国優子の「思えば宮古」 第拾八號

あんちーかんちー編集室

2010年07月16日 09:00


137年前の1873年7月は、エドが嵐にあって宮古島・宮国沖で遭難した月にあたります。今回の『思えば宮古』は、いつもの「ネタ帳」であるエドの日記(ドイツ商船R.J.ロベルトソン号宮古島漂着記)ではなく、タイムリーに届けられた新聞(WEB版)の記事から・・・それではあららがま パラダイス コラム 『思えば宮古』 第拾八號のはじまりはじまり~。

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『博愛は美談 ~日記の中のエドゥアルド~』 巻の九

皆さん、この夏の盛り、いかがお過ごしでしょうか?
まだ本番じゃないと思うのですが、宮古も東京も暑さMAXです。宮古の友人は「焦げそう・・・」ともらしておりました。焦げてるんでしょうね、皆さん。私も東京だけど焦げてます。

先日、思い立って、大掃除をしたのですが、このコラムのネタ本である「ドイツ商船R.J.ロベルトソン号宮古島漂着記」を紛失してしまいました。数時間前、出てきて、相当ホッとしました。
仕事場の本棚に横置きになっていて、「宮古テレビ30年の歩み」と「島の文化誌 島たや」の間にひそんでおりました。B5版の本なので、案外小さくて、いつの日かなくしてしまいそうです。危ない、うとるっさ(怖い)です。

原稿を書くのが遅れたせいか、とっても素晴らしいネタを頂きました。

「博愛の心考える 上野小記念日で集会」 宮古新報NWES COM(2010/07/13 09:03配信)

1873年に上野宮国沖で遭難したドイツ商船ロベルトソン号の船員を、地元の住民や漁民が救助した日にちなんだ 「博愛の日」 集会が12日、市立上野小学校(小谷優校長)で開かれた。6年生が音読劇 「かがり火」 を発表したほか、学校の周辺で清掃活動を実施し、「博愛の心」を考える機会とした。

おぉ、なんとも素敵なニュースではないでしょうか。
音読劇も素晴らしいけど、清掃活動まで。ドイツにちなんだのでしょうか。エコですね。

この取り組みは、▽先人の偉業をたたえ、博愛の心を養う▽郷土を知り、郷土を愛して主体的に郷土や社会の発展に尽くそうとするたくましい精神を培う▽国際社会に通じる視野と行動力を育てる~ことを主なねらいとして毎年行われているもの。

私、知りませんでした。上野小学校出身の友人たちは、きちんと誇りを継承していたんですね・・・。「郷土を知り、郷土を愛して」という言葉にホロリとしてしまいました。

まったく関係ありませんが、先日おもしろい文章を読みました。「人が人を好きになるというのはどういうことか」というお題だったのですが、若干、目から鱗でした。「好きだから相手の事を考える」というのが定説というか、フツーの恋愛のようですが、実は「考えるから好きになる」というのが脳のカラクリだそうです。
「好き⇒相手の事を考える」ではなく「なんとなく考える⇒考える⇒考える⇒こんなに考えるんだから好きなんだろう⇒好きに違いない⇒好き」だそうです。
「こんなに考えるから好きなんだろう」というところは、省略されやすいそうです。すり替えが行われるというか・・・。

と、いうことは、この「郷土を知り、郷土を愛して」は、脳みそ的には正しい。知らなければ考えることすらできないわけですから。
なんてこと言っている私も宮古を離れてから自分が宮古について何も知らないことに気づきました。宮古にいるときは自然と宮古への一体感もあったので、知る必要もなかったのだと思います。離れてみてから「知ろう」と思い始め「知りたい」になり、段々好きになり、今や熱愛にも近くなってきました。宮古島が脳みその中の楽園になりつつあります。

もちろん宮古に帰ると、知らないおばさんに怒られたり、酔っぱらいの同級生に絡まれたり、いろいろありますが、それでもLOVEの感情は尽きません。「Like」かと聞かれると、可愛さあまってなんとやら。痛し痒し宮古なのですが。考えることが多すぎて、脳内恋愛に近いです。

集会で小谷校長は「昔の人たちがドイツの人たちを助けた実話が教科書に掲載され、全国の子供に教えられた。みなさんもその博愛の心を受け継いでほしい」と述べた。6年生10名が音読劇「かがり火」でロベルトソン号救助にまつわる話を発表し、「先人たちの勇気ある行動を語り継ぎ、 世界中を博愛の心でいっぱいにしよう」と呼びかけた。

これね、これ。難しいところですよね。私が何度も書いているように戦意高揚のためという悲しき事実もあるのですから。この「かがり火」自体を私は読んだ事はありませんが、入手しなくては。
きっと昼夜を徹して、台風の中、助けてくれた島民と乗組員の感動と交流がテーマじゃないかと思うのです。博愛・・・そうですよね、博愛です。大事です。

おもわず意味を調べてみました。「博愛」=すべての人を等しく愛すること。

博愛主義もついでに調べてみました。
人種・国家・階級・宗教などの違いを越えて、人類は広く愛し合うべきであるとする主義。

美しい世界だわ。そんな簡単には無理!とおっしゃる方もいるでしょうが、個人的に「目指すは博愛主義」でいきたいです。

劇を鑑賞した児童らは「博愛の心を大切にしていきたい」などと感想を述べた。6年の宮國航太くんは、「勇敢な先輩たちを見習って立派な大人になりたい」と話した。引き続き清掃活動が行われた。児童たちは各学年に分かれて学校周辺の道路に落ちているゴミを拾い、清掃活動に汗を流した。

縁もゆかりもない宮國航太くんですが、勝手に親近感をおぼえます。名字が私と一緒というのもありますが、名前の中に「航」の字が入っていることや「太」という字がエドの図太さを表しているような気がしてたまりません。シンクロだね、エド!(遠くの空に向かって呼びかけてみた)。

私の名前は「宮国優子」と表記していますが、戸籍上は宮國です。たぶん、宮古の宮国さんのほとんどがそうじゃないかと思います。すごくゴツい感じがして使わなかったのですが、宮國航太くんの表記を見て、なんとなく戻そうかとすら考えてしまいます。宮古では結構そういう人が多いと思います。「与儀(よぎ)」さんは「興儀」さんだし。与那覇(よなは)」さんは「與那覇」さんだったりする。

また脱線してしまいました。
ずっと、船長であるエドワルドのことを、親しみをこめてエドと書いておりましたが、実はエドの本名は「エドワルド・ヘルンツハイム」という堅そうなお名前でした。今頃ですが、本名を知った気がします。何度も本の表紙で見ているのに。お互いに飲み屋の常連だけど、フルネームは知らないのに似ています・・・。

で、今日は、脱線しまくったエド話。
さて、どこからが続きだったかな、と思い、本をパラパラめくっていたら…奇しくも同じ日でした。エド、怖すぎです。今、私が読んでいるのは137年前の7月13日の日記なのです。

その日もとてつもなく長い日記になっている。
嵐がおさまって、一刻も早く船を見に行きたいエドと、島民との攻防が書かれている。

我々は殆ど囚人と同じような扱いを受け、常に島民に付き添われ、特定の道を歩くことしか許されなかった。

すでに火花バチバチな感じがする。
島民が用意したサバニに乗って、船に戻り、まだ沈まない船から鉄砲やタバコを持ち出した。もちろん、そのほとんどは回収不能だったのだけど。
他にもあれやこれやと恨み言を書き連ねているが、その日の日記の最後にエドはこう書いている。

命が助かったことに対して感謝しなければならない。

めくるめく苦難に、肩を落としてばかりいられない。そんな海の男、エド。そんなエドの男っぷりもぜひ上野小学校の子どもたちに伝えてあげたい・・・。余韻を残しつつ、次回に続く!

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【参考書籍】
「ドイツ商船R.J.ロベルトソン号宮古島漂着記」
財団法人博愛国際交流センター 編集・発行 平成7年初版
※残念ながら入手困難な稀覯本ですが、図書館などで読むことが出来ます。

「劇画かがり火―ロベルトソン号救助物語」
作画:新里堅進・ 監修:上野村役場企画調整課 平成8年初版
※本文の音読劇とは異なります。島内の書店にて入手可能。

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(文:宮国優子 編集+写真:モリヤダイスケ)
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