2009年06月16日
北西里区 [島AP×島AP 008]
今回の「島AP×島AP」が訪れた「字」は宮古島市平良字西里。しかし、そのエリアは平良港から、城辺との境となる“中休み”に至る、細く長く広がる旧西里村が版図。あまりにも広大な「字」なので、その中から絞った「小字」は根間。けれど、そこは一回の島APで収まりきらない、あまりにも密度の濃い市街地。そこでもう一段階、自治会単位でクローズアップしてみました。
字西里小字根間の最も海寄りに位置する「北西里」。そこは妖しい禁断のエリア(?)宮古島最大の歓楽街「イーザト」と、生活感に満ち溢れた古くからの住宅地が混ざり合う、ワンダーランド級の不思議なチャンプルーゾーンが広がっていました。
ローカルにこだわって島の「字」を巡る「島AP×島AP」、いつもより大盛りで北西里区の小さな旅をお届けです。
※地図をクリックすると大きくなります。地図を広げてお楽しみ下さい。
出発地点に選んだのは、北西里の南端。ちょっと方角ばかり入っていてややこしいですが、市場通りに面した「一杯飲み屋 とよみつ」があるビル(地図右下)から。無論、昼なのでまだお店はやっていませんが、螺旋階段もついた三階建てで小洒落た雰囲気を醸し出していますが、横へ廻ってみるとなんとも薄っぺらい作りになっています。最も細いところは2メートルくらいでしょうか?。市場通りの拡張でこのような設計になったものと思われますが、知恵を絞って作られていて面白いです。
それでは改めて、ここから海のほうに向かって進んでゆきたいと思います。この道の左手は隣の自治会で南西里一区で、こちらもイーザトの一角を形成しています。
早速、足元に大きく口を開けているグレーチングを発見。その幅に合わせて道路の雰囲気も違っています。グレーチングの中を覗き込んでみると、かなりの水量で水が流れていました。生活雑排水だけでこの水量とは考えにくいので、これは間違いなく暗渠になった川でしょう。考えてみればこの道は北西里と南西里の境目ですから、川が蓋された今でも自然物が境界として機能しているといえます。しかしこの川はどこから流れているのでしょう。上流側は道路改修されていて痕跡がないのですが、地図で見てみると、ずっと奥までいくつかの自治会境となっている道が続いています。ようやく平良第一小学校北側に、水路の一部を確認することが出来ますが、水源までははっきりしませんでした(恐らくは通称・荷川取川と同じ宮古高校グラウンド付近の崖が水源ではないかと推察)。講釈が長くなりましたが、まずはこの暗渠を追いかけながら散歩を始めましょう。
早速、昼は人もまばらなイーザトのメインストリートと交差します。角の駐車場では、猫が何匹も集まって集会を開いていました。まだネオンのついていない飲み屋さんが軒を連ねていましたが、次第に歓楽街の様相から、住宅地へと変化してきました(途中、ここでは書けないような個人情報満載の凄い文言が書かれた張り紙がされているお店の扉があり、イーザトの裏面がちらりと見えた気がしました)。
たくさんの飲食店が立ち並ぶイーザトの店頭に、なかなかよく目立つ「宮古島社交飲食業組合」の加盟店の印が掲げられているお店がいくつもあり、夜の闇にどことなく怪しく鉄の扉で閉ざされた店の健全さをアピールしているようです。
暗渠の道は緩い勾配を下ってゆくと、完全に周囲は普通の住宅街に移り変わっていました。やがて左カーブを描いて一本の道と合流しました。合流点のY字を振り返って見てみると、左の暗渠道と右の一般道は、ここからどちらも一方通行になっているので、交通量の増加に伴って狭い道を広げる代わりに川に蓋して道を作ったようです。
暗渠は道の隅に流れを移し、さらに続いていました。港へ続く広い通りへと出ましたが、このあたりで古い海岸線が終わり、今は埋立地となっているので、最早、痕跡を見出すことは困難になりましたが、海へと流れ出しているようです。山がなく川のない島といわれている宮古島ですが、こうした小さく短い川は形を変えて、今も流れています。下水道普及率が決して高くない島なので、排水溝は海の入口だというCMを、つい思い出してしまいました。
海岸通り(日本最南端を走る国道390号線)へは出ずに、再びイーサド方向を目指して分け入ってみます。ここでまず目にしたのは「宮古義肢装具製作所」。開いていた扉から軽く覗いて見ると、人気はありませんでしたが、どことなく職人チックな雰囲気がしました。
製作所の向かいにある空き地の奥、民家の裏手に怪しい空間を見つけたので、確認してみたら予想通りそこに小さな水路がありました。この水路はどうやら民家の境を流れているようで、はっきりとルートを確認できそうにはありませんが、まだまだ秘密がいっぱい隠れていそうです。
道へと戻って緩い坂を登ってゆくと、左手の駐車場の奥に、大きなガジュマルの古木が見えてきました。ガジュマルは裏の一段高くなった崖地に斜面に茂り、根元にはクワズイモが群生しています。水あるところにクワズイモありなので、この崖地から水が湧いていること想像できます。よくよく地形を観察してみると、暗渠と水路があったあたりは低い谷を形作っているので、自然に水を集めているのだと理解しました。
先ほど見つけた水路が気になったので、ちょっと脇道に入り込んで見たものの、痕跡を見つけることは出来ませんでしたが、絵になる廃墟の民家を発見。ぱったりと突然に人の営みが止まった、そんな雰囲気を感じさせる空き家です。
T字路がふたつくっつけたような、変形十字路の角に緑の穴がありました。奥はガジュマルから続く崖の一部のようで、厳密には穴とはいえないかもしれませんが、人を寄せ付けぬように侵食した緑が怪しさを見せており、脇に建つ看板は不法投棄の犯罪性を警告しいました。
少し坂の勾配がきつくなった正面に、おもむきのある民家が現れました。道はこの民家を避けるように緩いクランク状に曲がっています。台風銀座のど真ん中に位置する宮古島は、サラ・コラ・デラの三つの「宮古島台風」を始めとする無数の台風の襲来によって倒壊し、スラブヤー(コンクリート家)へと建てかえが進んだため、他の沖縄の島々のように古い赤瓦の家はあまり残っていませんが、この界隈は結構残っているようです(セメント瓦もありますが)。
民家を後にして次の十字路に到着。住宅街から再び歓楽街に近づいて来ました。正面は明らかな歓楽街の入口、左手は高台に続く上り坂、右手は…道路の真ん中に細いグレーチングを発見!。どうやら水路の痕跡のようです。ということで左へ進路を変更してみると、歓楽街の外れといった感じのT字路にに青いマンションらしき建物がありました。壁面には大きく「クラブ フクノヤマ」と書かれ、その脇には寮の文字。これはまさしく究極の職住接近です。まだ日の高いこの時間ですから、夜の蝶たちは羽を休めていることでしょう。
注目のT字路の真ん中に横たわるグレーチングを覗いてみました。水の気配は判りませんでしたが、中にはオオタニワタリがたくましく生えていました。
登ってきたルートから脇道へそれたけど、足元に怪しい切り込みを見つけてしまったので、元へは戻らずに派手な装飾の飲み屋さんが並ぶ、T字路をそのまま進むことにします。下流で開渠になっていた水路や、オオタニワタリのグレーチングとの位置関係から、間違いなくこの道も暗渠の上に作られたもののようです。
奥へ進むとやがてイーザトのメインストリートに出ました。角には古い石敢当が建物にめり込むように鎮座していました。暗渠の方はメインストリートを横切ったところで建物に阻まれてしまいましたが、路面に刻まれた怪しい痕跡が北側へ続き、建物を回りこむように敷地の奥へ消えているようです。
路面の痕跡を求めてメインストリートを北に移動したので、脇道へそれる前に歩いていた緩いクランクのあった通りとの交差点へ行き当たりました。
この角に二階建ての面白い建物がありました。二階の壁面にペンキで書かれた「ホテルまえかわ」の文字が読み取れます。この小さな建物がホテルであるはずもなく、ペンキの薄れ具合からしてすでに存在していないもの考えられます。1階は「スナック 海ペラー」と書かれた看板(宮古方言で海は“イン”なので、屋号はインペラーと読むらしい)が掲げられていますが、扉すらない入口を入ったところにスナックはありません。その中にあったのはコンクリートで塗り固められた室内の中央に、蓋のされた井戸があるだけでした。元々、井戸がそこにあったんでしょうけど、初めからこうした部屋の作りだっんでしょうか。なんとも不思議な建物です。
「海ペラー」に誘われるように?メインストリートから左へ折れ、眠りについているネオン街を下って、先ほど脇道へそれた四辻に戻りました。今度は反対側の道に進んで坂を登ることにします。面白すぎる街なので、ついついくまなく探索したくなっています。坂を登りきらずにひとつ目の道角を曲がると、急激にネオンの影が潜めて住宅街へ変貌しました。
海側から折り返してきた谷間の道とは対照的に、小さな尾根道になったので見通しもよく、どことなく明るさも感じられます。そしてBlogでも噂になっていた、某残念な芸人サンが買ったといわれる、ひときわ目立つレンガ色の元民宿のビルディグが見えてきました。
「ビルディグ」を後にして散歩を続けてゆくと、道の向こうに青い海が見えてきました。こんな風に海が見えてくるとちょっと感動します。やがて道は唐突に終わり、階段になっていました。眼下を走る海岸通があるあたりは埋め立て地に作られているはずなので、その昔はこの高台で陸地が終わっていたのかもしれません。
階段を下りて海岸通を進むと、またもや変な物を発見しました。すでに打ち壊された廃墟の壁に、灰皿だけが何事もなかったかのように残されていました。
再び、階段のある路地が現われたので、これを登ってルートを折り返します。地形的には尾根を回り込んだので、斜面の傾きが逆になりました。この斜面は北側の祥雲寺側の斜面と対をなし、底面にある旧漲水港の入江を形成しています。斜面に沿って路地を登ると、先ほどの「ビルディグ」の裏手に差し掛かり、小さなガジュマルが壁からにょきっと生えていました。
路地を登りきると突き当たってしまったので、北西里の北端へ出てみます。通りを挟んだ向こう側は漲水自治会なので今回の区域外になりますが、建材屋の倉庫と事務所を二階部分で結ぶ、渡り廊下が気になったのでちょっとピックアップ。渡り廊下が結ぶふたつの建物の間は、地図上ではどうも道路になっているようなのですが、明らかに私有しているように見えるのですが・・・。
北西里を隅々までチェックしようと、一旦、海岸通りへと出てみました。その角には「岬食堂」というちょっと惹かれる名前の食堂があります。人の気配はするのですが商売っ気があまり見えず、怪しさもあって入る勇気がありませんでした。あとでネット検索をかけてみましたが、住所などの基本情報はあれど、食べたという記録は見つかりませんでした。どなたかぜひチャレンジしてみてください。
踵を返して、北西里と漲水の境にあたる通りを登ってゆきます。右手にうっそう茂った崖が現われると、そこは四基ほど墓が並んでいました。コンクリートで固めた亀甲墓のように手を加えたものは少なく、直接、崖に墓穴(はかあな)をしつらえた自然を活かした古い作りの墓をしていました。また、目線を転じてみると眼下に漲水港の谷が広がり、祥雲寺や宮古神社のあたりまで見通すことが出来ます。
北西里を含む周辺の小字は「根間」と呼ばれており、目黒盛豊見親の系統に連なる根馬氏(根間)や、目黒盛の居城のひとつ根間城などに由来する土地の名と考えられ、古い時代から栄えていた地域だったと思われます。現在は島一番の歓楽街イーザトがある地域として有名ですが、昼間はメインストリートとはいえ、人気も少なく閑散としています。坂を登りきって再び高台の上へと出たので、前から気になっていた空き地の隣にある廃食堂を眺めておきます。三階建ての一番上、かなり目立つところにある「食堂三矢」。建物はかなり大きいく全部が食堂とは考えにくいのですが、もし三階にあったのだとしたら、営業していた頃に行って見たかったお店です。
食堂の先を眺めてみると新しめのマンションがあり、その二階の軒下でカラフルな飛行機を模した風車(かざぐるま)がカラカラと勢いよく廻っていました。マンションの入口で足元をみれば、磨り減った古い石敢堂(この石は当でなく堂の表記)を見つけました。さりげなく歴史を感じる証が街の中に残っているのは古い集落のならではかも。さて、寄り道の探索もこの辺にして、イーザトのメインストリートを先に進みましょう。
繁華街のど真ん中を貫く緩いカーブを描く坂を下ると、オレンジ色のテントが目印の「チョイワル食堂」が見えてきました(実は海ペラーの向かいです)。少し前までは深夜まで開いている雑貨店(まっちゃ)だったと記憶しています。
「チョイワル食堂」の角を曲がって、懲りずに脇道へ入り込みます。どうでもいいポイントですが、隣の理容店の店頭に貼られていたポスターのモデルはDAIGOでした。
その先の金物店の片隅に、小さな祠の御嶽を見つけました。そういえば今回の散歩中に、御嶽をあまり見かけませんでした。気づかなかっただけなのかもしれませんが、このブロックで囲まれた御嶽の感じからすると、都市化の中に隠れているのかもしけません。
市場通りに抜けてしまいそうなので、少し戻って「ホテルアイランドコーラル」の脇に見つけた路地へ向かうことにします。それにしても近代的な白いホテルと対比するように、なんかパッチワークみたいに賑やかで昭和な様相のお隣が、いかにもイーザト界隈といった感じがします。
路地を進んでゆくと、イーザト入口に位置する老舗の「古謝そば本店」の前にたどり着きました。お腹が空いていたらそばのひとつも食べてゆきたいところですが、あいにくそれほど減っていないので、今日のところはスルーしておきます。
では、いよいよ市場通りへと出てラストスパートにしましょう。市場通りは南北の二ヶ所の公設市場を結ぶ通りでしたが、2007年2月に北市場が廃場になり、2007年9月に下里市場(南市場)が閉場となってしまい、残念ながら今は公設市場はひとつもありません。
西里通りと市場通りの交差点近くに、三線体験の出来る「重信民謡研究所」の看板が出でいました。なんでも一時間もあれば三線が弾けるようになるとか。
最後は平良西里郵便局。以前は市役所前交差点にあった本局が移転したため、サンエーターミナル店の裏にあった東仲宗根局を移転して開局した、宮古島で一番新しい郵便局です。
これでようやくスタート地点に戻りました。いつもより濃密な散歩の旅となったので、ボリューム満載の大盛り仕様でお届けしました。最後に北西里とは切っても切り離せない、「イーザト」について触れておきます。イーザトの語源は諸説あるようですが、「入り里」を意味する「イヅサト」が口述表記されたもののようで、太陽の沈む西の方向を「イリ」とあらわすことから、西里(にしざと)のそもそもの語源だったのではないかと思われます。確かに海に面した丘の上の集落なら、夕日の沈む様子がよく見えたのではないかと想像してしまいました。
※表題の北西里区は便宜上名づけた区であり、公共的な行政区や自治区ではありません。
※すべての集落は島の方々が生活を営んでいる大切な場所です。集落を散策する場合には、必ずマナーを守って楽しみましょう。
(文+写真+編集:モリヤダイスケ イラスト地図製作:いけますわこ)
それでは改めて、ここから海のほうに向かって進んでゆきたいと思います。この道の左手は隣の自治会で南西里一区で、こちらもイーザトの一角を形成しています。
早速、足元に大きく口を開けているグレーチングを発見。その幅に合わせて道路の雰囲気も違っています。グレーチングの中を覗き込んでみると、かなりの水量で水が流れていました。生活雑排水だけでこの水量とは考えにくいので、これは間違いなく暗渠になった川でしょう。考えてみればこの道は北西里と南西里の境目ですから、川が蓋された今でも自然物が境界として機能しているといえます。しかしこの川はどこから流れているのでしょう。上流側は道路改修されていて痕跡がないのですが、地図で見てみると、ずっと奥までいくつかの自治会境となっている道が続いています。ようやく平良第一小学校北側に、水路の一部を確認することが出来ますが、水源までははっきりしませんでした(恐らくは通称・荷川取川と同じ宮古高校グラウンド付近の崖が水源ではないかと推察)。講釈が長くなりましたが、まずはこの暗渠を追いかけながら散歩を始めましょう。
早速、昼は人もまばらなイーザトのメインストリートと交差します。角の駐車場では、猫が何匹も集まって集会を開いていました。まだネオンのついていない飲み屋さんが軒を連ねていましたが、次第に歓楽街の様相から、住宅地へと変化してきました(途中、ここでは書けないような個人情報満載の凄い文言が書かれた張り紙がされているお店の扉があり、イーザトの裏面がちらりと見えた気がしました)。
たくさんの飲食店が立ち並ぶイーザトの店頭に、なかなかよく目立つ「宮古島社交飲食業組合」の加盟店の印が掲げられているお店がいくつもあり、夜の闇にどことなく怪しく鉄の扉で閉ざされた店の健全さをアピールしているようです。
暗渠の道は緩い勾配を下ってゆくと、完全に周囲は普通の住宅街に移り変わっていました。やがて左カーブを描いて一本の道と合流しました。合流点のY字を振り返って見てみると、左の暗渠道と右の一般道は、ここからどちらも一方通行になっているので、交通量の増加に伴って狭い道を広げる代わりに川に蓋して道を作ったようです。
暗渠は道の隅に流れを移し、さらに続いていました。港へ続く広い通りへと出ましたが、このあたりで古い海岸線が終わり、今は埋立地となっているので、最早、痕跡を見出すことは困難になりましたが、海へと流れ出しているようです。山がなく川のない島といわれている宮古島ですが、こうした小さく短い川は形を変えて、今も流れています。下水道普及率が決して高くない島なので、排水溝は海の入口だというCMを、つい思い出してしまいました。
海岸通り(日本最南端を走る国道390号線)へは出ずに、再びイーサド方向を目指して分け入ってみます。ここでまず目にしたのは「宮古義肢装具製作所」。開いていた扉から軽く覗いて見ると、人気はありませんでしたが、どことなく職人チックな雰囲気がしました。
製作所の向かいにある空き地の奥、民家の裏手に怪しい空間を見つけたので、確認してみたら予想通りそこに小さな水路がありました。この水路はどうやら民家の境を流れているようで、はっきりとルートを確認できそうにはありませんが、まだまだ秘密がいっぱい隠れていそうです。
道へと戻って緩い坂を登ってゆくと、左手の駐車場の奥に、大きなガジュマルの古木が見えてきました。ガジュマルは裏の一段高くなった崖地に斜面に茂り、根元にはクワズイモが群生しています。水あるところにクワズイモありなので、この崖地から水が湧いていること想像できます。よくよく地形を観察してみると、暗渠と水路があったあたりは低い谷を形作っているので、自然に水を集めているのだと理解しました。
先ほど見つけた水路が気になったので、ちょっと脇道に入り込んで見たものの、痕跡を見つけることは出来ませんでしたが、絵になる廃墟の民家を発見。ぱったりと突然に人の営みが止まった、そんな雰囲気を感じさせる空き家です。
T字路がふたつくっつけたような、変形十字路の角に緑の穴がありました。奥はガジュマルから続く崖の一部のようで、厳密には穴とはいえないかもしれませんが、人を寄せ付けぬように侵食した緑が怪しさを見せており、脇に建つ看板は不法投棄の犯罪性を警告しいました。
少し坂の勾配がきつくなった正面に、おもむきのある民家が現れました。道はこの民家を避けるように緩いクランク状に曲がっています。台風銀座のど真ん中に位置する宮古島は、サラ・コラ・デラの三つの「宮古島台風」を始めとする無数の台風の襲来によって倒壊し、スラブヤー(コンクリート家)へと建てかえが進んだため、他の沖縄の島々のように古い赤瓦の家はあまり残っていませんが、この界隈は結構残っているようです(セメント瓦もありますが)。
民家を後にして次の十字路に到着。住宅街から再び歓楽街に近づいて来ました。正面は明らかな歓楽街の入口、左手は高台に続く上り坂、右手は…道路の真ん中に細いグレーチングを発見!。どうやら水路の痕跡のようです。ということで左へ進路を変更してみると、歓楽街の外れといった感じのT字路にに青いマンションらしき建物がありました。壁面には大きく「クラブ フクノヤマ」と書かれ、その脇には寮の文字。これはまさしく究極の職住接近です。まだ日の高いこの時間ですから、夜の蝶たちは羽を休めていることでしょう。
注目のT字路の真ん中に横たわるグレーチングを覗いてみました。水の気配は判りませんでしたが、中にはオオタニワタリがたくましく生えていました。
登ってきたルートから脇道へそれたけど、足元に怪しい切り込みを見つけてしまったので、元へは戻らずに派手な装飾の飲み屋さんが並ぶ、T字路をそのまま進むことにします。下流で開渠になっていた水路や、オオタニワタリのグレーチングとの位置関係から、間違いなくこの道も暗渠の上に作られたもののようです。
奥へ進むとやがてイーザトのメインストリートに出ました。角には古い石敢当が建物にめり込むように鎮座していました。暗渠の方はメインストリートを横切ったところで建物に阻まれてしまいましたが、路面に刻まれた怪しい痕跡が北側へ続き、建物を回りこむように敷地の奥へ消えているようです。
路面の痕跡を求めてメインストリートを北に移動したので、脇道へそれる前に歩いていた緩いクランクのあった通りとの交差点へ行き当たりました。
この角に二階建ての面白い建物がありました。二階の壁面にペンキで書かれた「ホテルまえかわ」の文字が読み取れます。この小さな建物がホテルであるはずもなく、ペンキの薄れ具合からしてすでに存在していないもの考えられます。1階は「スナック 海ペラー」と書かれた看板(宮古方言で海は“イン”なので、屋号はインペラーと読むらしい)が掲げられていますが、扉すらない入口を入ったところにスナックはありません。その中にあったのはコンクリートで塗り固められた室内の中央に、蓋のされた井戸があるだけでした。元々、井戸がそこにあったんでしょうけど、初めからこうした部屋の作りだっんでしょうか。なんとも不思議な建物です。
「海ペラー」に誘われるように?メインストリートから左へ折れ、眠りについているネオン街を下って、先ほど脇道へそれた四辻に戻りました。今度は反対側の道に進んで坂を登ることにします。面白すぎる街なので、ついついくまなく探索したくなっています。坂を登りきらずにひとつ目の道角を曲がると、急激にネオンの影が潜めて住宅街へ変貌しました。
海側から折り返してきた谷間の道とは対照的に、小さな尾根道になったので見通しもよく、どことなく明るさも感じられます。そしてBlogでも噂になっていた、某残念な芸人サンが買ったといわれる、ひときわ目立つレンガ色の元民宿のビルディグが見えてきました。
「ビルディグ」を後にして散歩を続けてゆくと、道の向こうに青い海が見えてきました。こんな風に海が見えてくるとちょっと感動します。やがて道は唐突に終わり、階段になっていました。眼下を走る海岸通があるあたりは埋め立て地に作られているはずなので、その昔はこの高台で陸地が終わっていたのかもしれません。
階段を下りて海岸通を進むと、またもや変な物を発見しました。すでに打ち壊された廃墟の壁に、灰皿だけが何事もなかったかのように残されていました。
再び、階段のある路地が現われたので、これを登ってルートを折り返します。地形的には尾根を回り込んだので、斜面の傾きが逆になりました。この斜面は北側の祥雲寺側の斜面と対をなし、底面にある旧漲水港の入江を形成しています。斜面に沿って路地を登ると、先ほどの「ビルディグ」の裏手に差し掛かり、小さなガジュマルが壁からにょきっと生えていました。
路地を登りきると突き当たってしまったので、北西里の北端へ出てみます。通りを挟んだ向こう側は漲水自治会なので今回の区域外になりますが、建材屋の倉庫と事務所を二階部分で結ぶ、渡り廊下が気になったのでちょっとピックアップ。渡り廊下が結ぶふたつの建物の間は、地図上ではどうも道路になっているようなのですが、明らかに私有しているように見えるのですが・・・。
北西里を隅々までチェックしようと、一旦、海岸通りへと出てみました。その角には「岬食堂」というちょっと惹かれる名前の食堂があります。人の気配はするのですが商売っ気があまり見えず、怪しさもあって入る勇気がありませんでした。あとでネット検索をかけてみましたが、住所などの基本情報はあれど、食べたという記録は見つかりませんでした。どなたかぜひチャレンジしてみてください。
踵を返して、北西里と漲水の境にあたる通りを登ってゆきます。右手にうっそう茂った崖が現われると、そこは四基ほど墓が並んでいました。コンクリートで固めた亀甲墓のように手を加えたものは少なく、直接、崖に墓穴(はかあな)をしつらえた自然を活かした古い作りの墓をしていました。また、目線を転じてみると眼下に漲水港の谷が広がり、祥雲寺や宮古神社のあたりまで見通すことが出来ます。
北西里を含む周辺の小字は「根間」と呼ばれており、目黒盛豊見親の系統に連なる根馬氏(根間)や、目黒盛の居城のひとつ根間城などに由来する土地の名と考えられ、古い時代から栄えていた地域だったと思われます。現在は島一番の歓楽街イーザトがある地域として有名ですが、昼間はメインストリートとはいえ、人気も少なく閑散としています。坂を登りきって再び高台の上へと出たので、前から気になっていた空き地の隣にある廃食堂を眺めておきます。三階建ての一番上、かなり目立つところにある「食堂三矢」。建物はかなり大きいく全部が食堂とは考えにくいのですが、もし三階にあったのだとしたら、営業していた頃に行って見たかったお店です。
食堂の先を眺めてみると新しめのマンションがあり、その二階の軒下でカラフルな飛行機を模した風車(かざぐるま)がカラカラと勢いよく廻っていました。マンションの入口で足元をみれば、磨り減った古い石敢堂(この石は当でなく堂の表記)を見つけました。さりげなく歴史を感じる証が街の中に残っているのは古い集落のならではかも。さて、寄り道の探索もこの辺にして、イーザトのメインストリートを先に進みましょう。
繁華街のど真ん中を貫く緩いカーブを描く坂を下ると、オレンジ色のテントが目印の「チョイワル食堂」が見えてきました(実は海ペラーの向かいです)。少し前までは深夜まで開いている雑貨店(まっちゃ)だったと記憶しています。
「チョイワル食堂」の角を曲がって、懲りずに脇道へ入り込みます。どうでもいいポイントですが、隣の理容店の店頭に貼られていたポスターのモデルはDAIGOでした。
その先の金物店の片隅に、小さな祠の御嶽を見つけました。そういえば今回の散歩中に、御嶽をあまり見かけませんでした。気づかなかっただけなのかもしれませんが、このブロックで囲まれた御嶽の感じからすると、都市化の中に隠れているのかもしけません。
市場通りに抜けてしまいそうなので、少し戻って「ホテルアイランドコーラル」の脇に見つけた路地へ向かうことにします。それにしても近代的な白いホテルと対比するように、なんかパッチワークみたいに賑やかで昭和な様相のお隣が、いかにもイーザト界隈といった感じがします。
路地を進んでゆくと、イーザト入口に位置する老舗の「古謝そば本店」の前にたどり着きました。お腹が空いていたらそばのひとつも食べてゆきたいところですが、あいにくそれほど減っていないので、今日のところはスルーしておきます。
では、いよいよ市場通りへと出てラストスパートにしましょう。市場通りは南北の二ヶ所の公設市場を結ぶ通りでしたが、2007年2月に北市場が廃場になり、2007年9月に下里市場(南市場)が閉場となってしまい、残念ながら今は公設市場はひとつもありません。
西里通りと市場通りの交差点近くに、三線体験の出来る「重信民謡研究所」の看板が出でいました。なんでも一時間もあれば三線が弾けるようになるとか。
最後は平良西里郵便局。以前は市役所前交差点にあった本局が移転したため、サンエーターミナル店の裏にあった東仲宗根局を移転して開局した、宮古島で一番新しい郵便局です。
これでようやくスタート地点に戻りました。いつもより濃密な散歩の旅となったので、ボリューム満載の大盛り仕様でお届けしました。最後に北西里とは切っても切り離せない、「イーザト」について触れておきます。イーザトの語源は諸説あるようですが、「入り里」を意味する「イヅサト」が口述表記されたもののようで、太陽の沈む西の方向を「イリ」とあらわすことから、西里(にしざと)のそもそもの語源だったのではないかと思われます。確かに海に面した丘の上の集落なら、夕日の沈む様子がよく見えたのではないかと想像してしまいました。
※表題の北西里区は便宜上名づけた区であり、公共的な行政区や自治区ではありません。
※すべての集落は島の方々が生活を営んでいる大切な場所です。集落を散策する場合には、必ずマナーを守って楽しみましょう。
(文+写真+編集:モリヤダイスケ イラスト地図製作:いけますわこ)
Posted by あんちーかんちー編集室 at 09:00│Comments(0)
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