宮古織物事業協同組合 設立50周年

あんちーかんちー編集室

2008年12月02日 09:00


地域の伝統織物である宮古上布の技術伝承と、宮古上布の一貫生産などを行う宮古織物事業協同組合が、設立50周年を迎え、伝統工芸品研究センターで宮古上布や宮古織の展示即売会が行われました。

宮古織物事業協同組合は、その前身となる宮古郡織物組合が1902年(明治35年)に創設されるも、戦争や業績不振によって2度の解散を経て、1958(昭和33年)に現在の組合が設立。1978年(昭和53年)には、宮古上布が国の重要無形文化財に指定されたほか、2003年(平成15年)には糸績みの技術が国選定保存技術として認定されるなど、島の織物界をリードしてきました。

ところで宮古上布について、皆さんはどれだけ知っていますか?。正直なところ島に暮らす者としては、あまり身近なものとはいい切れない宮古上布。島の特産織物であることは知っていても、実際の知識として怪しいのではないでしょうか。今回は伝統工芸品研究センターで展示即売会されていた実物を見ながら、簡単ですが勉強してみたいと思います。
最初は歴史から。
宮古上布の始まりは、今からおよそ450年前。1583年に明(中国)へと向かう琉球王国の進貢船が台風に遭い、激しい波と風で船の舵を操る綱が切れ操舵不能に陥るが、乗り合わせていたムアテガーラが嵐の海に飛び込んみ、決死の修復のおかげで進貢舟は無事に帰還を果たしました。
時の琉球国王はこの功績を讃え、褒美としてムアテガーラに下地首里大屋子(シムジスイウフヤク:下地の頭)の位を与え、洲鎌与人(村長)に任命する。平民から士族へ出世したムアテガーラは、下地真栄(しもじしんえい)と呼ばれるようになり、この出世を喜んだ妻の稲石刀自(いないしとぅじ)が、琉球国王へ返礼として「綾錆布(あやさびふ)」という、錆色(青)に染色した苧麻糸で美しい模様に織り上げらた麻織物を献上し、宮古上布が世に出るきっかけとなった。
しかし、1609年の薩摩侵攻を契機に、1903年に廃止されるまでの永きに渡り、宮古上布は過酷な人頭税の貢租として織られ続けることになります。精巧にして美しい宮古上布を仕上げるためには、原料となる苧麻の選定から始まり、限りなく細い糸を紡ぐ高度な技術を持った紡ぎ手、藍染色の卓越した技術、きめの細かい絣締めの織りといった、それぞれの工程ごとの熟練した技術に支えられて、初めて宮古上布は完成します。そんな美術品のような宮古上布を作り上げる製法技術は、今も変わりがありません。


古くから国内外で、宮古上布は麻織物としての高い技術が評価されてきましたが(1922年 平和記念東京博覧会。1958年 ブリュッセル万国博覧会など)、近年は技術保持者の高齢化、後継者の不足などを含めた様々な理由から宮古上布は危機感をつのらせています。
ひとつは「宮古」を冠した織物のすべてが宮古上布ではないという、ユーザーの知識不足から混同を招く点があります。伝統工芸品研究センターにおいても、「宮古上布」「宮古苧麻織」「宮古麻織」「宮古織」ときちんと区別されています。

「宮古上布」
原材料が経糸(よこいと)・緯糸(たていと)ともに手績み苧麻糸で、琉球藍を使い伝統的な十字絣で柄を描いたもの(近年では、草木染めなどを用いて、絣・縞・生成などの柄も上布と定義されていますが、伝統という視点からは、消費者ニーズに応えた近代の上布ともいえる)。
「宮古苧麻織」
原材料の緯糸は手績み苧麻糸であるが、経糸はラミー(ラミーは苧麻の英名で、同じ麻糸には変わりないのですが、一般に手績みの糸ではなく工業製品の麻糸でを指します)を使っています。柄も絣を入れるものもありますが、縞模様が中心で、染料も天然染料のほか、化学染料が使用される場合もあります。
「宮古麻織」
原材料は経糸・緯糸とも、ラミーでが使われている。
「宮古織」
原材料の緯糸はラミーだが、経糸は綿糸を使用であり、ここまで来ると明らかに宮古上布とは別の織物と区別される。


勿論、規格を定めてそれぞれを区別(伝統的な琉球藍を使った十字絣柄と、近年増えている草木染め系の織物も、同じ上布とされていますが、厳密に異なるものと評価されています)され、連綿と伝わる宮古上布の伝統工芸織物を守る努力と、宮古の織物の発展拡充を宮古織物事業協同組合ではおこなっています。

絹織物などでは卓越した織りの技術によって仕上がることから、パタパタと織り続ける織り子さんが花形のようなイメージを思い浮かべてしまいますが、宮古の織物の区分を見るに、どうやら宮古上布の一番の特徴であり、根底には手績みの苧麻糸の存在が欠かせないのではないかと感じました。
畑で栽培される苧麻から繊維を取り出し、繊維を髪の毛ほどの細さに手作業で裂き、撚り紡いで手績みの苧麻糸になりますが、一反分を一人で作るには3ヶ月以上の月日を必要とするそうです。
この手績み苧麻糸の出来によって、織り上がる上布の質も変わるそうですが、この工程に携わる熟練者の高齢化と後継者不足から、生産が恒常的に不足しており、糸がなければ上布を織ることも出来ないために、織り子サイドでは質の良い糸を奪い合う様なことも起きているそうで、伝統織物として宮古上布が正しく存続するための最大のポイントとなっています。

こうした危機感もあってブーンミ(ブー:苧麻 ンミ:績み)の保存会やサークルなども誕生していますが、これを職業として成立させるまでには至っていないません。原料となる苧麻も用途ごとにいくつか種類がありますが、その栽培についても決して盛んとはいえる状況ではありません。
島の伝統工芸織物として、また、素晴らしい品質で高級な織物として存続し続けるためにも、もっと、糸績みや苧麻の生産に対して光を当て、高い評価を与えるということも、宮古上布の生産増進や品質向上につながり、地域文化の伝承と伝統技能の永続を通して、質の高い島興しへと繋がるのではないでしょうか。

今回、宮古上布を取り上げるにあたり、それなりに勉強をしては見たものの付け焼刃で語れるほど、簡単ではありませんでした。しかし、伝統という経糸と技術という緯糸で紡がれた、とても奥深い世界で非常に興味深いものであることに改めて気づき、いつか、宮古上布が生まれるまでを、「畑」からじっくりとたどって見たいと思うのでした。

■宮古織物事業協同組合 伝統工芸品研究センター (入館見学、無料)
住所:宮古島市平良字西里3 地図はこちら
お問合せ TEL/FAX:0980-72-8022
開館時間:9:00~18:00 日・祝日・年末年始、休館
http://www.miyako-net.ne.jp/~m-joofu/

伝統工芸品研究センターでは「体験織り」、「体験染め」、「体験ストラップ作り」など、体験出来るコーナーを設けています(おひとり様2000円~)。
・体験コーナーの利用は事前にご予約が必要です。
・2コース以上を体験される方は500円の割引があります。

■真屋御嶽(まやうたき) 地図はこちら
下地地区洲鎌にあり、宮古上布創始者といわれる稲石刀自(いないしとぅじ)と、その夫、下地真栄(しもじしんえい)の二人が祀られている御嶽。毎年11月30日に行われる「稲石祭」には、宮古上布に従事する人々が参拝に訪れます。

(文+写真+編集:モリヤダイスケ 取材協力:宮古織物事業協同組合)
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