幻の大陸 八重干瀬-ヤビジ-上陸作戦2009

あんちーかんちー編集室

2009年03月31日 09:00


旧暦の三月三日、サニツ。春の大潮の日に行われる伝統行事があります。そもそもは干潮で大きく引いた浜に降りて、女性が身を清めるという風習ですが、家族連れで潮干狩りなどを楽しむ季節でもあります。この大潮の日にあわせ、巨大な珊瑚礁・八重干瀬を訪れるツアー「八重干瀬まつり」が催されます。普段、平良港と伊良部の佐良浜港を結んでいるフェリーを使った、大掛かりな上陸ツアーに同行して幻の大陸といわれる八重干瀬へと行っ来ました。

『八重干瀬』
「やえびし」「やびし」「やぴし」など地域ごとにさまざまに呼ばれていましたが、1999年に国土地理院が製作した八重干瀬地形図の発行に伴い、公式名称として八重干瀬に一番近く、古くから生活圏としてもなじみ深い池間島での呼び名である、「やびじ」を当時の平良市が制定し、珍しい干潟だけの地図「八重干瀬」2万5000分の1地形図が作られました(現在は絶版になっていますが、通常の2万5000分の1の地形図「フデ岩」※1として再編販売されています)。
八重干瀬は宮古島の北にある池間島から、さらに7キロほど北に位置し、南北12キロ、東西8キロにわたって広がる、大小100以上の珊瑚礁によって構成されています。八重干瀬は珊瑚礁なので、普段は海面下にあり、海域には露岩さえ陸地はありませんが、主に大潮の干潮時にその姿を現わします(八重干瀬まつりの旧暦の三月三日以外の大潮の日でも見ることが出来ます)。海面から浮上する面積は、宮古島のほぼ10分の1にもなり幻の大陸とも呼ばれています。ダイビングやスノーケリングといったマリンレジャーだけでなく、古くから漁場としても利用されている海の恵みの詰まった場所です。
そうした一方、この海域は魔の海域と呼ばれ、古くは江戸時代後期の1797年に、イギリス海軍の探検船プロヴィデンス号が座礁沈没したことでも知られており、近年では2008年に、高知の漁船が座礁事故をおこすなど、近代化が進んだ現在でも船にとっては危険な場所となっています。
午前中で伊良部行きのフェリー運航はいったん中止(八重干瀬まつり期間中は、フェリーは間引き運航で夕方前には再開)され、11時前八重干瀬への出航準備が整うと、大手旅行会社の団体旅行客を乗せた観光バスが次々と港に乗りつけ、用意されたお弁当を片手にぞろぞろとフェリーに乗り込んでゆきます。フェリー二階の船室やデッキはもちろん、即席の桟敷席が作られた車両甲板にもお客さんが乗り込み、11時過ぎに怪しい曇り空の平良港を出港。
防止堤を越えて港を出ると、フェリーは佐良浜沖を北へ向かって進路を取ります。やがて西平安名崎の風車、池間大橋が見えてきました。普段、伊良部島へ行く航路と違って新鮮味があります。
フェリーでは車両甲板に設えられたステージで、民謡ショーが賑やかに始まっていました。慣れない船に揺られているお客さんも、ステージで三線を手に楽しませる方も、ちょっとやりづらそうです。
というのも、池間島の北端に建つ灯台を回り込み、島影から抜けて沖へと出ると、波の影響を受けて揺れが強くなって来たからです。時折、船首にドーンと大きな波が当たり大きく船が揺れ、お客さんの中には船酔いで気分を悪くされる方が出るほどに…。
そして空模様も小雨が落ちてくる、あいにくの展開となり八重干瀬への上陸が楽しく過ごせるか怪しい状況になって来ました。
13時前。ようやく八重干瀬のリーフに砕ける白波が見えてきました。フェリーはしだいに速度を落とし八重干瀬に接近し、リーフの間を慎重に進んで行きます。すでにフェリーの周りには、大小のリーフが波間に顔を出し始めていました。
やがてゆっくりとタラップを下ろしてリーフに接岸します。しかし、桟橋とは違って船を係留できる施設はないので、船員総出でロープを幾重にも水中に張りながら、巧みな操船でリーフに打ち寄せる波に揺れるフェリーを固定します。この手際の良さとチームワークは海の男って感じがして、なかなか見ごたえがありました。
ようやく上陸の準備が整うと、空模様が急速に回復。雨は止み、雲が切れ、太陽までもが顔を出してきました。まるで八重干瀬の上陸を待っていたかのような演出です。団体客のみなさんは、ぞろぞろと浮上した幻の大陸へと上陸して行きました。
踏みしめた陸地は隆起した珊瑚が長い年月をかけて作り出した、ほんの少し前まで波に洗われていた場所。足元が濡れるのは必須ですが、海原から姿を現した八重干瀬は、その大自然のなせる力に感激を呼び起こすに充分な魅力に輝いていました。
この八重干瀬を俯瞰的な地形で見てみると、東平安名崎、大神島の延長線上にあり、宮古島の特徴的な地形のケスタ地形(※2)の一部をなしています(googleMAPで地形を選択すると、いく筋もの丘脈があることが見て取れます。たとえば、野原岳のある丘脈は南の消防署上野出張所から始まり、北へは空港の北側を抜けて、総合体育館、漲水学園とたり、砂山ビーチで海中に没しています)。
八重干瀬のさらに東側には、れっきとした陸地としてフデ岩があるくらいですから、もしも、八重干瀬の標高(この場合は海底からの高さ)がもう少しだけ高ければ、この地に宮古諸島8番目の島が形成されていたかも知れません。
八重干瀬に上陸した皆さんは、初めて体験する方ばかりのようで、どこをどう楽しんだら良いのかやや戸惑いながらも、思い思いに幻の大陸を散策していました。滅多に出来ない体験なのだから、フェリーの中で簡単な観察方法や楽しむポイントをレクチャーしていたら、もっと八重干瀬に興味を持って見てもらえることが出来たかもしれません。
そうした一方で大挙して八重干瀬に上陸するツアー行為に警鐘するむきもあり、どちらも島の未来に密接に繋がるものだけに、観光事業と環境保護の両立に期待したいところです。
14時過ぎに八重干瀬に汽笛が鳴り響きます。潮が満ち始めて来た合図でした。八重干瀬の上陸を楽しむという貴重な時間はあっという間に終了となりました。時を同じくして、太陽も雲に隠れ青空も消え、元の曇り空に戻ってしまい、まるで八重干瀬に上陸するためだけに晴れていてくれたかのようでした。
やがてフェリーはリーフを離れ、波に洗われながらゆっくりと海にその姿を消してゆく、幻の大陸・八重干瀬をあとにします。

※1 【フデ岩】
宮古島、伊良部島、下地島、池間島、来間島、大神島に次ぐ7番目の島として正式に認定された、灯台と緊急用のヘリポートがあるだけの「島」。筆岩と書くこともある。
※2 【ケスタ地形】
隆起した際に段々に折れた地層が筋状にいくつもの小さな山と谷を形成している形状の地形で、宮古島だけでなく、伊良部島も来間島も北東側が断崖になり、南西に向けて緩やかに傾斜しています。
(文+写真+編集:モリヤダイスケ 協力:宮古島のオプショナルツアーのことなら「宮古旅倶楽部」)
関連記事