第25回全日本トライアスロン宮古島大会

あんちーかんちー編集室

2009年04月21日 09:00


2009年4月19日 日曜日。今年も宮古島にトライアスロンの季節がやって来ました。
島の全域をフィールドにして、スイム・バイク・ランの三種目をたったひとりで走りきる、ストロングマンたちの熱き戦い、「第25回全日本トライアスロン宮古島大会」の模様をレポートします。

[スイム 3キロ 与那覇前浜]
夜も明けきらぬ午前6時。トライアスロンのスタート地点となる、与那覇前浜に隣接する東急リゾートへとやって来ました。すでに会場は長い長いレースを前に入念な準備をする選手、応援の家族やサポートするチームメイト、大会運営を支えるスタッフとボランティア、テレビ・ラジオの中継と新聞・雑誌のマスコミであふれていました。
朝日にビーチが照らし出されると、最初の種目・スイムのスタートがいよいよ近づき、参加する1441名のアスリートたちの緊張がひしひしと伝わってきました。
今年で25回目を迎えた宮古島のトライアスロン大会は、自然豊かな宮古島全島をフィールドに、スイム3キロ、バイク155キロ、ラン42.195キロの3種目を、14時間以内にゴールする過酷な競技。それゆえにアスリートたちはストロングマンと呼び讃えられています。
ストロングマンたちが島中を駆け抜けるこの日は、島の人々もトライアスロン一色に染まります。各コースに設置されたエイドステーションを始めとした、大会を支えるたくさんのボランティアスタッフ。沿道のあちこちで選手へ「ワイドー(がんばれ)」と声援を送る、大人に子供にオジィにオバァ。島の誰もが何らかの形でトライアスロンにかかわる一日となります。
気温21.2℃ 晴れ 東の風3メートル 湿度80パーセント。前日までの雨の影響で湿度が高めですが、まずまずのコンディション。
午前7時にスタートの合図が鳴り響き、いっせいに海へと飛び込んでゆきます。いよいよ200.195キロの長い旅が始まりました。無数の水しぶきをあげて力泳する一団を、「グルクンの群れ」と県魚に模して、その様を会場アナウンスでも形容されていましたが、ミヤコブルーの海を泳ぐ“群れ”は、とても壮観な構図でした。
7時36分過ぎ。早くも3キロのスイムを泳ぎきった最初の選手が、スイムのフィニッシュゲートをくぐり、バイクのトランジットへ足早に走って行きました。やがて、堰を切ったようにスイムを終えた選手たちが、ウエットスーツを脱ぐのももどかしく、次々とホテルの庭を駆け抜けて行きます。
[バイク 155キロ 宮古島東急リゾート~宮古島市陸上競技場]
あわただしくバイクへと乗り換えた選手たちは、東急リゾートから飛び出して、時計回りに島を一周半します。まずは平良市内に向けて国道390号線を北上して平良港を抜け、池間大橋を渡って池間島を一周すると、島の東側(通称・北海岸)を南下、島の南東端にある東平安名崎を目指します。
スイム会場から交通規制の合間を潜り抜けて、北海岸にある真謝漁港へと移動すると、早速、バイクのトップ選手が通過して行きました。この時点でのトップは、スイムは3位通過だったミッチェル・アンダーソン選手(豪)が、池間島折り返しの狩俣付近でトップに躍り出ており、2位との差を3分ほどに広げていました。それにしてもトップ選手は凄いです。真謝漁港の通過は時刻は、スタートからわずか2時間の午前9時過ぎなのですから、見事な漕ぎっぷりです。
バイクコースはこのあと、東平安名崎を経て、島の南岸沿いを西へとアップダウンの続くコースを進み、橋を渡って来間島を往復すると2周目に突入します。
強い風がアスリートたちを苦しめているようですが、実況のラジオが来間島にトップがさしかかったのを聞きつけ、西仲宗根にある大米給油所前のエイドステーションへ移動します。
11時前。依然トップを行く、ミッチェル・アンダーソン選手が通過してゆきました。2位との差は真謝の時よりも少し開いているようで、次第に独走の様相を呈してきたようです。
エイドステーションではボランティアの中学生たちが、続々とやって来る選手たちに、盛んに声をかけながらドリンクやバナナなどを一生懸命に手渡していました。
バイクコース2周目は、再び池間島を往復すると、北海岸の中ほどの高野まで半周し、バイクゴールの競技場に進路を取り、いよいよ最終種目のランへと挑みます。
[ラン 42.195キロ 宮古島市陸上競技場~保良折り返し~宮古島市陸上競技場]
ランコースは競技場からいったん市内中心部を大回りしてから、城辺線(県道78号線)を南下して、城辺地区の保良を往復します。
13時頃、宮古の中学・高校の吹奏楽部が、軽快な演奏で選手たちにエールを送る市内の下里通り(旧公設市場前)へと場所を移しました。
まだ、このあたりは走り始めたばかりで、長い道のりの序章に過ぎませんが、とてもスイムとバイクを終えたあととは思えぬ選手たちの表情と走りは、さすがはストロングマンだと改めて驚かされます。
一方、トップ争いは10分近く離されていた2位の松丸選手が、ランに入ってミッチェル・アンダーソン選手に猛追しており、レースの動向も気になります。
ランの選手たちを追いかけて、野原腰の中休み(という通称名)へ移動します。エイドステーション脇の沿道では、三線を奏でての賑やかな応援で盛り上がっていました。
折り返しの保良へと向かう選手たちが、続々とエイドステーションに立ち寄る中、14時過ぎに、すでに保良を往復して戻って来たトップのミッチェル・アンダーソン選手が通過して行きました。
その後のレース展開は、肉薄する2位の松丸選手を振り切り、7時間51分55秒のタイムでミッチェル・アンダーソン選手が初優勝を果たしました。
17時過ぎに再び市内へと戻りり、市中のランコースの様子を巡ってみました。
はるばる城辺の保良を往復して来た選手たちが、ゴールへと向けて最後の力走を見せていました。
18時をまわって、残された競技時間が3時間を切ったゴールの宮古島市陸上競技場は、すでにたくさんの人でにぎわっていました。
ゴールを讃える「おかえりー!」コールが会場に響き渡る中、次々と競技場に姿をあらわすストロングマンたちの花道ともいえるトラックで、家族が、恋人が、友人が、同僚が、大応援団が迎え、恒例のウイニングランをストロングマンともに走る、感動と感激のゴールシーンが光景が繰り返され、歓喜にあふれた瞬間を味わっていました。
やがて夜空に高々と花火が打ち上がると、時刻は20時に。遂に制限時間まで60分を切り、運命のカウントダウンが始まりました。
フィニッシュゲートのデジタル時計が「14:00:00」を刻み、遂に競技終了の21時を告げる花火が打ちあがり、競技場の門が無常にも閉ざされました。
最後の最後、長い旅路を終えて競技場へ飛び込んだ最終走者が、万感の拍手の中でゴールをくぐった瞬間、第25回全日本トライアスロン宮古島大会の熱い戦いはフィナーレを迎えました。
最終出場者1441名中、3種目200.195キロのすべてをひとりで走りきった完走者は、1316名(完走率91.3%)。観戦する大勢の人々にたくさんの感動をくれたストロングマンたち、ひとりで走りきったその背中を押し続けたのは、たくさんの「ワイドー!ワイドー!」の応援だったのではないでしょうか。ストロングマンの皆さん、お疲れさまでした。そして完走、おめでとうございました!

(文+写真+編集:モリヤダイスケ 撮影協力:サニーサイドカフェ[S]、ぐみ[G]、ユナイテッドルームカフェ@hoop & yoyo[U]、ななめ[N]、.aizfactory[A])
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