島の“字”を巡る緩い散歩旅「島AP×島AP」、今回訪れたエリアは宮古島から船に揺られること2時間、のどかな風が吹き抜ける多良間島です。合併によって宮古島市が誕生した現在、唯一の宮古郡として残った多良間村は、塩川と仲筋、そして水納(水納島)の三つの字があります。いつもの“字”散歩とは、ちょっと趣向を変えた新たな試みとして、「ストリートビュー」というスタイルでお送りします。
宮古郡多良間村(人口1344人/2009年6月現在)は、それぞれ塩川村、仲筋村、水納村として村立(当時の村は現在の字単位)てされ、1908年の島嶼町村制施によって平良村に組み込まれましたが、1913年に多良間村として独立して以降、平成の大合併も乗り越えて単独村制を貫いています。そんな多良間村のメインストリートを「島AP×島AP」してみました。
多良間村の三つの“字”は、水納島にある“字”水納を除き、丸い形をした多良間島の東半分を塩川、西半分を仲筋と大まかに区分されていますが、どちらの字域も大半はサトウキビ畑か牧場が占め、人の住む集落は島の北中部に集中しおり、ふたつの“字”が寄り添うように隣り合ってくっついています。
スタート地点は平べったい多良間島で最も高い八重山遠見台(32.8メートル)の麓にあたる“字”仲筋から。麓とといっても、ほんの少し高いくらいですが、集落の北側にうっそうとした森が広がっています。この森があることで仲筋集落はやや内陸に、森から外れる塩川は海寄りにと隣接している“字”でも家並みが広がる位置関係がずれています。こんな解説をわざわざ入れている理由は、マップを見てもらうと判りやすいのですが、メインストリートとして選んだ道にも関わらず、仲筋と塩川のバランスが極端に悪くなってしまったので(スミマセン・・・汗)。
※地図をクリックすると大きくなります。地図を広げてお楽しみ下さい。
改めてスタートしましょう。このあたりは仲筋の集落でも外れのあたりになるのですが、とても緑の多いエリアで、少し脇に入れば多良間神社やウプメーカ(お墓)、土原ウガム(八月踊りの仲筋地区の舞台)などのさまざまな史跡が多数点在しています。それでは緩やかな下り坂をストリートビューをしながら進んで行きましょう。
多良間の集落道はほぼ碁盤の目のようになっており、なかなか判りやすいのですがどことなく似たような風景なのと、ひとつひとつの区画の狭いので距離感を誤りやすく、ついつい行き過ぎてしまったり筋を一本間違えたりしまいがちです。
最初の辻で民家の脇に古井戸を見つけました。島APで井戸が登場する率が高いのは、上水道が完備する近年まで井戸が利用されていた、離島ゆえの水事情を反映している点もあると思われます。多良間島も宮古島同様に地下に水を蓄えている隆起珊瑚礁の島なので、ナガシガー、アマガー、シューガーガー、フシャトゥガーといった井戸が集落の四方にあります。これらは降り井戸(ウリガー)と呼ばれ、水が湧く穴の底まで人が降りていけるようになっているもので、今でも大切に保護されています。こちらの井戸は汲み上げ式の竪穴で、よく見ると以前は壁に囲まれていたような感じ。井戸小屋?もしかして風呂場?(ガス釜の排気口も見えるし…)だったのでしようか。
すぐに大きな広場(?)のある通りに出ました。この通りを挟んで仲筋と塩川を分ける字界になっており、ふたつの寄り添う“字”が作る集落のほぼ中央となります。右手は多良間村役場や公民館、図書館、診療所といった公共施設がずらりと並ぶ多良間村の中枢が集まり、その奥には多良間小学校と幼稚園があります。
左手には商店が一軒あります。池城商店といい、なんでもかつては島で唯一のパン屋だったそうで、島の人には「パンヤー」と呼ばれているそうです(
出典)。
さて、いよいよ字境を越えて塩川に入ります。まず最初に気になったのは、「この先行止り、車は通り抜け出来ません」とかなり強い口調で描かれた看板でした。ということは車はダメでも人ならば通れる?。ちょっと寄り道をしてみましょう。奥へ進むとそこには看板を掲示した多良間駐在所があり、その看板が示す通り、車では入れない図書館の裏口がありました。
続いては島一番のにぎわう場所。なんでもそろう島の総合スーパー・Aコープは、いつも島の人で賑わい店頭で店内で世間話に花が咲いています。そんなAコープの真向かいにあって、ライバル的存在として営業している中央スーパーは酒類に強く、旅人にもBコープと親しまれいるとかいないとか。
この中央スーパーの脇を北に進むと、水納島へのチャーター船が出る前浜港へ続いています。
多良間島のメインストリートに選んだこの道ですが、とりたてて商店街を形成しているわけでもなく、沿道の建物は半数以上が一般の住宅になります。それでも集落の道としては、港や役場、スーパーに続く道なのでそれなりに交通量があるわけですが、なんとも静かなものです。
みどりやと丸宮という民宿が二軒並んでいます。みどりやは昼限定で手打ちのそばを出す食堂としても営業しており、宮古そばならぬ、多良間そば(特色云々というより、島で生産しているという意味での多良間そば)を食べることが出来ます。
ニョキニョキと空に向かって伸びるいくつもの柱サボテンが茂るお宅がありました。大きさもなかなかに見事ですが、いくつものツボミがついており花がもうじき咲きそうな勢いです。それにしてもサボテンの持つ奇妙な形状がこれだけあると迫力も相当で、どこか異空間な雰囲気を感じさせます。
多良間島で唯一の信号が現われました。信号があっても大きな交差点なのかというと、特にそういう訳でもなさそうで、どちらかというと教育上の理由で作られているようです。
この交差点の角には石嶺商店がありました。沖縄式の壁面に直接ペイントする看板広告が、細いひさしの部分に日用品、惣菜、弁当、釣具と描かれています。なんでも揃うはずのAコープでは弁当の類を見かけなかったので、案外、住み分けをしているのかもしれません。
商店の決して多くない多良間島ですが、交差点を左に入ったところに面白い名前の床屋を見つけました。その名も「毛刈館」。なんとなく黙ってシートに座れば、なにも云わずにいつもの髪型にカットしてくれそうなイメージがする理髪店です。
信号を越えたら住宅率がぐっと上がり、だんだんと集落の終わりが見えてきました。なんとなく振り返ってみるとすれ違った車が遠ざかる以外に、降り注ぐ日差しの中で動くものはなにひとつありませんでした。
やがて連なっていた住宅が途切れ、集落の端となるが現われました。地図を見ると集落を取り囲むように防護林があるのですが、どうやらその外側へと出てしまったようです。これは古くからの集落の果て越えたことを意味していました(現在はその外側も住宅はあります)。
そんな場末チックな一角に、うらぶれ感が満載のスナックを見つけました。実際に営業しているかどうかは不明ですが、馴染みのお客さんで埋まっていそうです。
気づけば道幅も広がって、あたりはサトウキビ畑に変わり、集落の最後の家にたどり着きました。その家の入口の門柱の上に不思議なものがありました。門柱の上にたたずむのはシーサーというのはよくありますが、なぜかその門柱には茶色く錆びた巨大な歯車が鎮座していました。
道はこの先もフェリーが発着する、島の東部にある普天間港へと続いています。その道の両側には、ただただひたすらにサトウキビ畑が続く、多良間島らしい風景がそこには広がっていました。
「島AP×島AP」新趣向のストリートビューはここまで。通常とはひと味違った手法を試してみました。若干の迷いも見え隠れしているので、イメージしていたGoogle Mapのストリートビューとは完全に別物となっていますが、一本の道に絞って記事とイラストマップに加え、動画なんかを付けたりしたらよりライブ感も出て、面白い「島AP×島AP」になるような気もしました。
さてはて、読者の皆さんの観想やいかに・・・。
(文+写真+編集:モリヤダイスケ イラスト地図製作:いけますわこ)