七又集落 [島AP×島AP 012]

あんちーかんちー編集室

2010年03月02日 09:00


とことんローカルにこだわって、島時間で集散歩を楽しむ「島AP×島AP(すマップ×すまップ)」。今回の散歩の旅の行き先は、城辺地区の「七又(ななまた)」集落です。のんびりと気ままに島の“字”を訪ねて歩く、「島AP×島AP」の旅、早速スタートです。

※地図をクリックすると大きくなります。地図を広げてお楽しみ下さい。
城辺地区の南方、七又海岸で有名な場所ですが、集落は荒々しい海岸から少し離れた、国道390号に程近い場所にあります。資料によると今から200年くらい前に移民によって集落が作られたそうで、当時はやせた土地で粟以外の収穫にはあまり適していなかったようですが、粟はよく実る土地であったようです(粟は痩せた土地でも収穫が見込める穀物のひとつではある)。ひと株の粟から七つの穂が伸び育ち、たわわに実らせたという七又の集落名の由来となる逸話もあるそうです。
その後、粟の生産需要は激減し、元来の痩せ地であることと海からの塩害に悩まされていた住民の多くは、八重山などへ新境地を求めて集落を離れ、現在は30戸ほどの城辺地区でもっとも小さな集落となっているそうです。
村建てや離村の経過を見る限り、七又は人頭税の貢税対策として作られた集落だったのではないかと推察することが出来ます(時代は異なりますが、昭和の初め頃までは保良の一部であったようです)。
七又集落についての予習はこのくらいにして、集落散歩を始めることにしましょう。スタート地点は国道沿いの七又バス停から。バス停の前にはブロック造りの小屋があります。バス待ち用に作られたものなのか、使わなくなった小屋を改装したものかはハッキリしませんが、大抵の宮古のバス停はポールが立っているだけなので、このバス停は珍しい部類と感じます。
このバス停のある集落入口は斜めに交差した十字路な上、国道が拡幅されたために交差部がとても広々としています。そんな一角に集落で唯一の商店・砂川商店があります。店舗入口に大型の日よけが設置され(方角的に西日対策と思われる)、店舗の看板がほとんど見えなくなっています。恐らく地元の人にとっては看板など必要ないのでしょうけど。
集落入口で見つけた道路標識。福里に続く道ですが、案内板があらぬ方向を向いてました。この曲がり具合は台風のいたずらに違いありません。しかし、いつからこのままなのでしょうね。
国道を離れてサトウキビ畑が広がる道を南へと進むと、右手に「鬼の杵 神の杵(ウンヌンナツキカンヌンナツキ)」と書かれた史跡の標柱が現れました。サトウキビ畑が史跡なのか?特に解説板などもなく、集落を訪れた時点ではなんのことやらさっぱり判りませんでしたが、調べてみると、昔々、神様と鬼が対決した場所なのだそうです。
ある娘(保良からか?)が平良へと買い物へ行った帰り道、思いのほか買い物に時間がかかってしまい、七又あたりで夜になってしまいました。そこで一夜の宿を頼みに明かりのついた家へと向かうと、そこは鬼の家だったそうな。娘はそのまま捕らえられてしまいますが、娘は鬼の隙をついてなんとか逃げ出し、助けを求めて東に向かうと一軒の家を見つけて飛び込むと、そこはなんと神様の家でした。
娘の後を追って現れた鬼に、「ここに石の杵が二本ある、この杵を土中に深く突き刺すことができたら娘を引き渡そう、しかしできなかったらお前を退治する」と神様は勝負を提案し、神様と鬼は杵を土中に突き刺す力比べの勝負を行い、セオリー通り神様が勝ち、娘を鬼から救い、負けた鬼は命乞いをして神様の下男として仕えることとなりました。
というお話で、土中に突き刺さった二本の石(見かけは荷川取の人頭税石のような屹立した格好らしい)があるようなのですが、石はサトウキビ畑の中なのか確認することは出来ませんでした。
サトウキビ畑を過ぎて静かな小さな集落に分け入ると、地面にホームベースが描かれていました。三叉路のちょっと広くなっているスペースで子供たちが野球を楽しむために描いたものでしょうが、人の気配すらあまり感じられず、子供の姿はこの先(取材中は)も一度も見ることはありませんでした。
三叉路から集落の西へと向かってみましょう。空き地に牛の飼料用のロールがずらりと並び、塀ぎわには色とりどりの浮き玉が吊るされているお宅がありました。浮き球アートなのでしょうか?。
どんどんと集落内を西に向かって進んでゆくと、あっという間に西の端へと出てしまいました。小さな集落の果てを教えてくれたのは、まるでなにかのオブジェのようにずらりと道端に並んだロールでした。七又は民家に併設された小規模の牛小屋が点在しているので、それこそ角を曲がるたびに牛と出逢うので、飼料もあちこちに鎮座しています。
集落の西端を折り返して、先ほどからチラチラと見え隠れしていた七又公民館へ向かうことにします。すると公民館の前に立派な石碑が建っていました。碑銘には「砂川正亮 生誕の地」と書かれています。1888年、七又に産まれた砂川正亮は、宮古出身の医学博士の第一号として赴任先の奈良県下にて、初めてツベリクリン反応の実施を行い結核予防対策に尽力。また奈良県立医学専門学校(現・奈良県立医科大学)設立にも力を尽くした郷土の偉人なのだそうです(1967年没)。
誰もが知っているというほど有名という訳ではありませんが、なにげにこうした凄い人たちが島のあちこちから出ていることに改めて驚かされます。
続いてはいよいよ七又公民館です。ここには集落の娯楽として力比べ「アギイス」に使われていた玉石が保存されています。全国的にもある「力石(ちからいし)」の宮古版です。詳しくはアギイスの特集記事「腕力を搾り出せ!」を参照いただきたい。
見所がいろいろあって、なかなか先に進んでいませんが、公民館の隣にあった島APのお約束、古井戸をチェックしてみます。石の蓋の隙間からカメラを突っ込んで無理矢理に撮影してみたら、思いのほか深くて内部は見事な石組みで作られており、真っ暗な井戸の底の方には水があることも確認できました。資料によると「ンナカガー」と呼ばれる井戸で、約31メートルの深さがあるらしく、一説によると宮古で一番深い井戸なのだそうです。
集落の規模が小さいせいもあるのでしょうが、集落の道々は生活に応じて作られた踏み跡が広くなったような感じがするちょっと複雑な地形をしています。そんな集落道の一角に東屋のある小さな公園が見えてきました。公園といっても遊具があるわけでもなく、グランドゴルフが楽しめそうな小さな広場のような作りです。そこにある東屋の屋根の下にコンクリートで出来た扉のついた謎の収納スペースを発見。サッシに鍵がかかっていて、その謎を解明することは出来ませんでしたが、この東屋を利用してなにかが行われているのかも知れません。
公園の南側を回りこんで、七又集落を更に奥へと進みます。住宅に併設された小さな牛小屋がいくつも出てきました。覗き込むと決まって牛も見返してきます。人が珍しいのか、餌をくれるとでも思っているのでしょうか?。
そんな牛小屋の脇に円柱状のコンクリート製の井戸のようなものがあります。中にはたっぷりと水がたたえられていますが、これは井戸ではなく雨水(天水)を貯める桶で、今でこそ上水道が普及し渇水も囁かれなくなりましたが、水事情の乏しかった時代を偲ばせる代物です。天水を貯めて再利用する点は、時代が移った今日ではエコな代物に変化しているように思えました。
集落に沿って南下をのんびりと続けると、ふいに人家が途切れ、ようやく南端へと到達しました。西へと伸びる農道へちょっと足を踏み入れてみると、広大な牧草地が広がっており、その向こうにで七又名物の風車(七又海岸近くにある)がゆっくりと羽根を回転させていました。
今度は集落の南端から東側へ廻り込んで北へ折り返してみましょう。綺麗に圃場整備が済んだサトウキビ畑が延々と広がってました。耕地を整理することで効率のよい農業を可能にするのでしょうが、個人的にはどこか人工的な感じがして、ちょっと面白味に欠ける風景に感じてしまいます。
集落の東側を北上してゆくと、趣きのある古い石垣が見えてきました。ナイものねだりかも知れませんが島APを続けていると、こんな雰囲気がいっぱい残っていたりするとちょっと嬉しくなります。
やがて、こんもりとした小さな福木の森が現れました。集落内(公園の隣)に静かにたたずむ由緒ありそうな御嶽でした。そんな御嶽の隣にもしっかりとロールが置かれています。
御嶽の脇を抜けて緩く短い坂を下ります。このあたりは七又集落で最も人家が密集している区域なのですが、それでも数軒ほどが固まっているに過ぎません。集落の東側を更に北へと進み、ブーゲンビレアの咲く牛舎を過ぎると、もう集落のエリアは終わってしまいました。
そんな集落の外れで、また古い井戸を見つけました。蓋をされた古井戸の上に鉄製のアーチがかがっています。釣瓶を取り付けてあったものでしょうか。
すでにあたりに人家は尽きてしまい、七又の集落とはいい切れなくなってしまいましたが、集落の北側の守りをするかのような御嶽が現れました。こちらの御嶽もなかなかのたたずまいで、頻繁に訪れているような形跡が見受けられるので、集落にとってはかかせない拝所のようです。
御嶽の前の緩いカープを抜けると、サトウキビ畑が広がっていました。いよいよ七又の旅もラストスパートです。そのまま北へサトウキビ畑の中を抜け、国道390号へと到達すると、道の向こう側に今にも森に呑み込まれそうな鳥居がありました。鳥居の脇に「ナズカニ神 クプンミ神社」と書かれています。琉球処分後に進められた皇民化政策の一環で、御嶽の一部は神道化されて鳥居が立てられたもののひとつと思われますが、その奥はごくごく普通のどこでも見かける御嶽のままでした。誤解を恐れずに云うならば、見かけは追従してみせても魂は売らない、そこにはそんな島の人々の心意気の表れのようなものがあるような気がしました。
国道を西に進めばスタート地点の七又バス停へと戻りますので、そろそろ今回の島AP「七又集落」の散歩な旅はここまでとしておきましょうか。
ずいぶんと久しぶりの島APとなったので、下調べが不足していたような場面と、謎解きしきれない課題物件が増えたりと、若干、問題点を露呈してしまいましたが、今後も島内のあちこちに出没して、島AP流の“字”散歩をしてゆきますので、集落で見つけても怪しい奴と思わないでくださいね!

※すべての集落は島の方々が生活を営んでいる大切な場所です。集落を散策する場合は、必ずマナーを守って楽しみましょう。
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(文+写真+編集:モリヤダイスケ イラスト地図製作:いけますわこ)
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