スタートは宮古実業総合高校の隣、人気のアダナスのパンを作っているみやこ学園分場前から。古くは「スーパーはくあい」だった所といえば、うなづく人もいるのではないでしょうか?この前から始まるカママ嶺公園の杜に沿って緩いカーブを描いて登る急坂を進みます。カーブの中ほどに南国らしいヤシの木が空に向かって伸びています。以前は登りきった先まで立派なヤシの並木が続いていたのですが、ある日突然、根元からばっさりと切られてしまっていました。
坂を一気に登り、虚しいヤシの切り株が並んだ向いに、モダンな造りの住宅が建っています。このあたりは目の前にさえぎるものがない高台なので、伊良部島へと広がる海が見渡すことが出来ます。
再びカママ嶺公園に目を向けると、古い二階建ての東屋があります(一応、展望台だそうです)。よく見ると、この屋根から生えている木があります。実はこの木、2003年に宮古島を蹂躙した、あの台風マエミーにも耐えました。余談ついでに、この付近は新しい図書館の建設予定地とも目されているところでもあります。
脇道がいくつかあるので、少し寄り道をしてみたいと思いますが、その前に脇道の角に「カママ嶺鮮魚店」とかすれた文字で書かれた小さなお店を発見。引き戸がわずかに開いていましたが、中はカーテンが引かれており、営業しているようには見えませんでした。
脇道へ進んでみると、鮮魚店脇にパパイヤが一本綺麗な黄色い花を咲かせていました。この路地は手入れの行き届いた庭のあるお宅や、洒落た設計のお宅があって、どことなくですが、沖縄っぽくない感じがします。道はそのまま国道へと抜けられるのですが、この先はあとのお楽しみにして、一旦、公園側へと戻ることにします。
心なしか最近、賑わいの感じられない「レストランあさしお」の角を曲がって脇道へ。まず目に飛び込んできたのは「石垣ふとん店」。ふとん店とありますがウインドウから見えるのは、手さげカバンや人形など趣味の小物が並んでいます。入口の片隅に「寝具類、打ちなおし、トールペイント、手芸材料」と営業科目が記されていてなんとなく納得しました。
ふとん店の向かいは雑草(ビデンスピローサ)が茂った空き地が広がっていました。ここには確か、個人医院があったかと記憶しています。人の住まなくなった家を取り壊した空き地が、市街地に増えてきているように感じます。
風変わりな雰囲気のお店が続きます。ふとん店の隣は東芝系の電器店とおぼしき「宮芝家電」ですが、もうひとつ「宮芝スクール」の看板が掲げられ、危険物取扱者、電気工事士、ボイラー技士などの資格試験を専門に扱う塾になっていました。
小ネタとして、この先にT字路があり、壁から「飛び出し注意」の看板が飛び出していました。
T字路の空き地に大きな樹が一本あり、枝が下がるほど茶色い実がたくさんついています。なんという木なか後から調べてみたのですが、いまひとつはっきりしませんでした。正解を知ってる方がいましたら教えてください!
続いては「労働省」のと書かれた小さな公務員宿舎が現われました。すでに中央省庁再編で厚生労働省になっているはずなのに、宮古ではまだのようです。
気づけば国道に出てしまいましたが、新旧の「仲宗根鮮魚店」も見逃せません。裏通りにひっそりとあったはずが、大三俵三区を分断するように国道が開通したことで、期せずして幹線道路沿いになったあたりは、カママ嶺鮮魚店と明暗を分けているかも知れません。
盛りだくさんの今回の島APは、まだまだ続きます。国道には進まずに、再びカママ嶺公園側に戻ることにしましょう。シルバーゾーンの公園脇をシーサーの滑り台を横目に行くと、公園入口の車止めがトーテムポールに使われていそうなくらい、いかつい面持ちのシーサーを見つけました。
目線をあげると、壁に貼られた十ヶ条の生活標語がありました。昭和53年に平良市教育委員会が中心に作ったもののようですが、「家族揃ってラジオ体操」とか、「夜の外出は九時までに済ませる」など、色々な意味で味わいのある標語です。
またまた、脇道へと入り込んでみます。先ほどより道幅も狭く、路地の雰囲気が色濃いです。早速、奥へ進むと住宅が立ち並ぶ中に、異彩を放つゲストハウスが建っていました。
路地はなかなか奥が深く、突き当りを左に折れて、ようやく民家で終わっていましたが、そんな庭先に宮古島では見ることが出来ないヒカゲヘゴが、寒緋桜と一緒に植えられています。庭だからできる組み合わせでしょう。少し路地を戻って、途中にあった一段と細い未舗装の小道に迷い込んでみました。
趣きのある細い小道を抜けると、急に開けた場所に出ました。まさかこんな住宅密集地で、マンゴーのビニールハウスがあるなんて、とても驚きです。
ハウス脇からカママ嶺公園へ抜ける路地を抜けて、ミニ探検を終えます。表に出ると、すでに廃業となっているにもかかわらず、壁に鮮やかに残る「光てんぷら屋」と、「エステサロン プランツ」の看板が待っていました。
ミニ探検の勢いに乗って、次の路地へも侵入してみました。初めは特に見どころもないように思え、そのまま国道まで抜けてしまったのですが、折り返しで振り返ってみたら、大きく茂った庭木に挟まれたまっすぐな路地は、ちょっと絵になる「いい路地」がありました。
やっとカママ嶺公園の通りを歩き終えました。今回は細かな寄り道がかなり多くなっていますが、もう少しお付き合い下さい。坂の上に鎮座するハローワーク。電光掲示板で沖縄県の最低賃金627円を知らせてしました。その隣は
宮古地方気象台があります。でも、通りの向こうは大三俵ではなく、大原地区なのでこのまま先に進みます。
この通りは狭い割に交通量の多い道ですが、ここに来てようやく「大三俵」の文字を見つけることが出来ました。屋根の上に書かれたものですが、この建物は「大三俵商店」という"まっちゃ"でした。すでに廃業されていますが、かなりの有名店だったようで今でもその名が日常的に通ります(共通のメタ情報を持つ島ならではの現象なので、時にナイチャーは過去を見る力が必要になります)。
そんな大三俵商店のお隣は、川満タイル店。玄関先が職業を活かしたタイルで飾られていました。
いよいよ国道390号線に入りました。この国道は那覇から宮古島を走り石垣島まで続く、日本最南端の国道です。街路樹のある歩道を進んで行くと、「喫茶松の樹」と「ブティックかな」の二軒連なったお店がありました(ご婦人向け?)。
さらに国道沿いを進んで行くと、ダイビングショップの入口に、バリ島っぽい装飾品が無造作に立てかけてありました。無造作感からみても、いわくのあるものは思えませんが、用途はよく判りません。
前半戦で訪れた、カママ嶺鮮魚店脇に続く道の国道側の出口に到達しました。けど、なぜか国道に出るところには通りを遮るように木立があり、道は少し曲がって国道に繋がっています。恐らくは昔の名残なのでしょうが、なんとも不思議な構造です。では、ここを曲がってみましょう。
すぐにT字路があり、その一角は広々とした芝敷きの広場で、オジィたちがグランドゴルフを楽しんでいました。この芝生の広場はイラストマップを見ていただいても判るように、かなりの広さがありますが、公共の公園ではなく、どうやら
富名腰集落でも紹介した私設の公園のようです。
オジィたちを横目に先へ進むと、小さな車庫ひとつで道の接続が断たれた、なんとも不思議な場所がありました。その隣すぐ脇には子供たちが遊ぶ芝生の広場があり、その真ん中に厳重に蓋をされた古井戸を見つけました。ということは、ここには恐らく家が建っていたのでしょう。
緩い坂を降りて、国道の交差点の角にある沖縄電力の久松配電塔を見に行きました。規模はそれほど大きくありませんが、大きな電柱(塔)がふたつそびえていました。
ゴールへと向かう坂道を下っていて気づいたのですが、道の右手は草木に覆われた低い崖は、琉球石灰岩の露岩になっているようです。その足元にクワズイモが茂っていました。クワズイモの近くには必ず水があり、崖の上には古井戸もあるので、もしかするとここから水が湧いているかもしれません。
さあ、ようやくゴール。ですが、最後にオマケをひとつ。スタート地点の坂道の下にあるカママ嶺公園の入口脇に、ひっそりと「博愛」の碑が建っていました。さすが「博愛」。侮れません。
ちょっと今回の大三俵三区は、ボリュームいっぱいで詰め込みすぎな感が否めませんが、それでも紹介できたのは全エリアのほんの一部であり、マップ内でもまだまだ語り足りないくらい、なかなか魅力のある面白いエリアでした。
今後は従来の“字”だけでなく、こうした自治区域もエリアとして取り上げてみようと思います。更なる島AP×島APのパワーアップにご期待下さい!
(文+写真+編集:モリヤダイスケ イラスト地図製作:いけますわこ)