宮古島といえばやっぱり“潜る”ことを最大の楽しみに、島へとやって来るマニアが多いことでも知られています。やっぱり宮古島にこだわって発信している「あんちーかんちー」ですから、ここはひとつ宮古島を潜って見ようと思います。あんちー流に。。。
ということで、島の大地へと潜る新企画です。そう、潜るのは島の海ではなく島の穴へと潜ります。隆起珊瑚礁の島である宮古島には、地質地形の特性状、あっちこっちに穴があいているのです。そんな島の穴を巡る探検奇譚。
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「穴に潜る」と書くと、ケービング(Caving)をするような大げさ感がしますが、島の地表に開いている穴の多くは、かつては飲料水を得るための水源(井戸)でした。川の少ない宮古島では地下水が利用されていましたが、井戸掘り技術がなかった頃は自然に開いた穴(地下の琉球石灰岩が浸食に陥没したドリーネ状の縦穴)を降りた底に湧く地下水を汲んで利用していました(
ティダガーのように海辺の湧水もある)。このような穴の中に湧く井戸を島の言葉で「ウリガー」と呼びます(ウリ=降りる。ガー=直訳では“川”ですが、“泉”から転じており、漢字では“降り泉”とか“降り井戸”と書き表します)。
水桶を担いで薄暗い穴の奥底に湧く水を汲み上げる作業は、近世まで日常生活に欠かせないものとして行われており、なかなかに重労働だったことも知られており、一部は名所・旧跡(御嶽を含有している場合も多い)として保護保存されているところも多く、島の歴史や営みを知るための文化遺産でもあります。第一回目の今回は観光でも立ち寄れて、手軽に潜ることの出来る平良市街の穴を目指してみました。
◆大和井(ヤマトガー)
伝承によると、この井戸は首里王府や薩摩藩から派遣された、いわば島の支配階級であった役人専用の井戸といわれ、重厚な石組みの擁壁で守られた荘厳な雰囲気を持つ場所で、門扉が設置され厳重に管理されていたそうでます。
島で一番のウリガーと呼ばれる大和井だけに、古くから綺麗に整備されているので、野趣にあふれたウリガーらしさにはやや欠ける気もしますが、階段を降りた最下層にある水汲み場は、枯れることなく今も水をたたえており、見上げるほどに高く茂るガジュマルの根が地下まで伸びた圧倒的な景観を作っています(1992年に国の史跡に指定)。
大和井の入口手前には庶民向けの井戸「プトゥラガー」があります。こちらは大和井と比べて狭くて小さいウリガーで、縦穴というよりは大和井の外れの崖地に開いた横穴といった感じです。こちらも穴の奥に水をたたえており、今も何らかの用途で汲まれているようで道具が置かれていました。
道を挟んだ向かい側の窪地にも、ウプカー(大川)という牛馬専用の井戸があります。こちらは戦後、上水道の普及や牛馬の使役が激減し、いつしか使われなくなって土砂に埋もれてしまっていたが、2004年に発掘され50年ぶりに当時の姿に戻されました。
用途が牛馬用なので地上からガーまでの降り口にもスロープが作られ、美しい曲線をした石垣で広々としたプール状に設計されている造詣は見事です(残念ながら現在、水はほとんどありません)。
大和井周辺は古くから島の中心地のひとつだったことから、ウリガー以外にもさまざまな歴史的な遺構が多く残されており、島の歴史探訪を楽しむことが出来ます(綾道マップ[宮古島逍遥]×[島AP]
特別編・
完結編)。
◆盛加井(ムイカガー)
NTT営業所(赤と白の鉄塔が目印です)近くある、市内近隣では最大規模を誇る野趣に富んだ大きなウリガーです。ここは遥か昔から上水道が普及する近代まで、生活用水の水源として利用されていました。
ウリガーの入口から続く石作りの階段は長い年月に渡って踏みしめられ、歴史を感じる丸みを帯びておりところどころ苔生しています(滑りやすいところがあるので注意)。水を汲むために険しい階段を昇り降りするのは、相当な重労働だったことが偲ばれます。
ウリガーへと降りてゆく途中で、穴の壁面を見上げると取り囲むようにシダが生い茂り、どことなくシダの洞窟を思わせる雰囲気が漂っています。さらに階段をガーの奥底まで進むと狭い隙間から外光が差し込むだけの薄暗い地底世界となります。最深部の岩の裂け目のような場所に湿った窪みがあり、常時、水が溜まるほどの水量はないようです。
郷土史研究家の一説によると、この盛加井付近は14世紀後半に勢力をふるった豪族、与那覇原一党の本拠地だっとた考えられています。史実的には未だその所在は明らかではありませんが、与那覇原一党は圧倒的な武力によって宮古全島のおよそ八割を支配下に治めてましたが、現在の市役所界隈(根間、外間)を本拠地としていた目黒盛は、奸計をもつて攻めてきた与那覇原軍を一気に逆転して打ち倒し、始めて宮古の統一を果たします。一方、敗れた与那覇原軍は下地(与那覇)や城辺(ヨナ浜)へと逃れ、捲土重来を帰すため琉球王府(当時は察度王なので、厳密には中山王朝)へと朝貢し、王府配下の宮古主長へと任じられ、宮古は微妙な二重支配状態となります。その後、跡継ぎに恵まれなかった与那覇原の子孫・大里大殿は、目黒盛の子孫である仲宗根豊見親の高い才能に惚れ込み、我が子同然に育てて家督を譲り、島の支配が一元化されるという大河ドラマ並みのドラマチックな歴史があります。
◆イザガー
北小学校の東にあるイザガーは規模こそさほどに大きくなく、周辺はごく普通の住宅街の只中にあり、案内板も特に設置されていないので知らなければ見過ごしてしまうほど地味な存在。画像にはモニュメントのような碑が建っていますが、これは旧平良市高阿良(現地)を健康モデル指定地区を表した碑(1970年3月)で、目印にはなりますが特にイザガーとは関連がありません。
イザガーの見所ひとつは、転落防止の金網やブロック塀こそありますが、穴のすぐ脇は普通に車も往来する道路であり、背後には今も普通に人々が住んでいる住宅が建っているという、よくぞ開発の名のもとに埋められずに生き残った奇跡のような存在に感じられます(実際には洞内に御嶽があり、埋めることなど決してありえない存在なのですが・・・)。
草生した少し不ぞろいな石の階段を地下へと降りてみると、とても住宅地の真ん中にあるとは思えないほどに静かで、そこここの岩の隙間から染み出している水で濡れていたり、壁面に茂るシダにも玉のような水滴が付いて、潤いに満ちた空間が広がっていました。かなり水分量が多いイザガーですが、奥にある窪みには残念ながら水は溜まっていませんでした。
まずは第一弾として、平良市街のある手軽に潜れるウリガーを紹介をして見ました。とても身近な場所にちょっとした冒険心をくすぐるような場所があるのが、宮古島の面白いところでもあります。そして同時に島の生活を支えていた貴重な文化遺産を巡り、時空を超えて島の歴史を学ぶ楽しさにつながっていました。次回はもう少し本格的に?色々な穴へと潜ってみたいと考えています。
[大和井・プトゥラガー]
[ウプカー]
[ムイカガー]
[イザガー]
Google streetview
蛇足。「とある宮古の巡検雑記-スクリブラー-」
巡り廻って~巡検して、レポートする~雑記を記すというイメージをスクリブラーと表してみました。スクリブラー(Scribbler)とは、なぐり書きする人、乱筆家、悪筆の人といった意味で、まさにヘボ文士にぴったりな言葉。そして本当にどうでもいいことではありますが、別のマニア心から「とある××の×××××」という定型句を、どうしても付けてみたかっただけというサブタイトルに過ぎません(謝意)。
(文+写真+編集:モリヤダイスケ)