「宮古島を潜る」 とある宮古の巡検雑記 其の四

あんちーかんちー編集室

2011年01月11日 09:00


はいっ。またお逢い出来ましたね!。そうです。宮古島で一番のマニアックな話が読めるとの噂があるとかないとか云われている「とある宮古の巡検雑記~スクリブラー~」をお届けいたします。やっぱり南国・宮古島の醍醐味といったら“潜って楽しむ”ことですから、島そのものに思いっきり潜ってみましょうか。隆起珊瑚礁という地質地形の特性から、宮古島の大地にはあっちこっちには穴があいているのです。そんな宮古島の穴を巡り廻る探検奇譚。

※     ※     ※     ※

これまで三回の巡検雑記は主に下へ、地下世界の方向へと降りるウリガーを中心に潜って来ましたが、今回は横穴です。といってもウリガーのように琉球石灰岩を水(雨や地下水)が溶かして作ったものではなく、人の手で作られし穴です。感の良い方はもうお気づきですね、戦後65年が経過してもなお残されているあるモノを隠すために作られた穴。宮古島は本島に比べると戦跡と呼べるものが少なめですが、海岸線を中心に掘られた穴は相当な数に及ぶようです。島の大地に深く刻まれた傷跡にして戒めの彫刻。戦穴-いくさあな-を訪れて見ました(造語)。

「海軍特攻艇格納秘匿壕」

元々自然の中にある岩をくり抜き、更に外から隠すために見えにくく作っているので、南国の旺盛な緑も繁っており、禍々しさとか苦々しさがあまり見受けられない戦跡です(実際、砲撃や爆撃にあったとは思いにくい。機銃掃射くらいはあったか?)。
ちなみにこの穴(壕)は市指定の史跡(戦跡)ですが、島内で市の指定を受けている戦跡はあまり多くありません。保護保存するという意義が薄いのか、あまり顧みられていないようです。この狩俣地区の西海岸にあるこの秘匿壕も、かつては畑道の奥の奥にひっそりと埋もれ、訪れるものはほとんどないという一種の秘境史跡でした。
それがある日を境に周辺の農道が突如として拡幅され舗装され、誰が利用するのかよく判らない公園が作られ、そして今、開発という名の破壊活動で、海中トンネルの建設が盛んに行われている「狩俣ふれあい公園」の前にあります(2011年4月開業予定)。
穴そのものはそれほど大きくありませんが、案内板によると本壕と脇壕あわせた総延長は300メートルもあるそうです。この穴に秘匿されていモノは大戦終盤に発想された「震洋(しんよう)」という特攻兵器(特別攻撃)。
特攻兵器というと航空機のイメージがありますが、海戦においても人間魚雷「回天」などが投入されており、「震洋」もそうした兵器のひとつで、ベニア板で作られた簡易なモーターボートの船首に爆弾を取り付け、島に近づく敵に突撃するという、もの凄くシンプルというか末期的な戦法のための兵器です。
「震洋」のサイズは全長5.1メートル 全幅1.67メートルと小型車ほど大きさ(wikipediaより)で、出撃する際は穴から浜辺まで運びだして出撃する手はずになっていたようです(戦後から近年にかけて、この付近は耕地整理がされていますが、公園造成以前はすぐ目の前が浜辺だったので、当時の面影はずいぶんと失われたことになります)。

沖縄に迫る連合軍(大戦中に宮古島を攻撃した艦艇には、英国海軍もいたらしいので、ここで米軍と限定しません)の作戦行動が変更となり、実際に宮古島では「震洋」による攻撃は行われなかったということですが、この時、突撃を命ぜられていた兵士はどうだったのでしょうか(第41震洋隊が配備されていた)、戦争という極限の縛りの中で、壕造りなどに駆り出された島民たちもいた訳ですし(島での施設工作の指揮をしていたのは海軍第三一三設営隊)。
平和な世の中になったとはいえ、この壕の前に立つと平穏な時代とは云い切れないものを感じます。ほとんど人の姿を見ない真新しい公園、轟音をあげて自然を切り裂いて建設する海中トンネル施設。隣の七光湾でも、芸術という名を借りたエゴの押し売りが行われいたりと、なんだかイロイロちょっとばかりせつなすぎます。

トゥリバーのマレル型特攻艇秘匿壕群

文章化する際、なんとなく取り扱いが難しい時もある戦跡ですが、なにはともあれそこにあるというコトを知ってもらうという観点で文字にしていますが、トゥリバーの秘匿壕群は穴の数も多くて、なかなか見ごたえのあるものでした。
まずはトゥリバービーチに向かう道路脇にある一群。ここには案内柱も建てられていますが、まったく目立っていません。護岸された海辺に沿って岩場へと向かいますが、干潮の時間帯であれば、途中から護岸の下に降りた方が簡単にたどり着けます。
そそり立つ岩場にはいくつかの穴(壕)が並んでいおり、便宜上、手前から一番と付番してみました。一番壕は人が近づきやすいせいもあり、全貌が一番観察しやすい壕でした。横長の箱状に掘られており、穴の中ゴミが散乱している。波打ち際も近いので波によって運ばれたのか、人為的に捨てられたものなのかはハッキリしませんが、近隣の藪に大量の不法投棄されている家電などが散乱しているので、いずれにせよきちんと保護されているとは云い難い状況です。

二番壕は猛烈に茂っている木が入り口を塞いでおり、中を覗くことは出来ませんでしたが、崖を見ると少し土砂が落ちて来ているようです。三番壕も茂みが入口を塞いでいますが、生い茂る草木をかいくぐれば壕には侵入することが出来ます(枝をかきわければ中を覗ける)。四番壕は大きく崖が崩れているので、そこにあるであろうという予想になりますが、その海辺に円柱状の人工物(コンクリート製)があり、人の手が加えられた場所であることがよく判ります。そして五番壕は崩れた岩とモンパの木が侵入を邪魔していますが、しっかりと穴があることは確認できます。
さらにこの先に進みたいところですが、海に浸かる用意がなかったので別ルートを検索します。というのも、遠くに大穴が見えているのですもの!。距離的にはそれなりにありますが、サイズが明らかにこちらの壕よりも大きいのです。
狩俣で秘匿されていのは海軍の特攻艇「震洋」でしたが、こちらのマルレ型というのは陸軍海上挺進戦隊四式肉薄攻撃艇のことで、海軍だけに水際防衛を任せるのではなく陸軍が自ら行うという発想で設立されたモーターボート部隊だったが、戦局の悪化から「震洋」と同様に特攻を行うようになってまった部隊(船のサイズは震洋と大差はないが震洋がトヨタ製だったのに対し、マルレは日産のトラックのエンジンを流用しているあたり、陸軍対海軍の対立が見える気もする)である。

陸に上がって壕の上あたりから降り口を検索してみると、不法投棄の山が隠された奥のジャングルの更に奥に、進入路らしきものを発見したけれど、進むことをためらわされたので諦めて、車でトゥリバー埋立地へと迂回することに。
昨今、トゥリバーというと埋立地側を示すことが多いですが、元々は埋立地の対岸付近の地名で、宮古島マイクロブルワリヘの作る島の地ビールの名前にもなっています。埋立地のトゥリバーは自然の海岸線を残して埋め立てるという方法で作られ、水辺のユニバーサルデザイン大賞を受賞していたりします(2005年)。
車で埋立地のマリーナの奥へ。現在、水路部分の浚渫をやっていて、なんとなく気分的にガッカリではありますが、秘匿壕の大穴が口を開けています。若干の距離はあるものの、明らかに壕のサイズが大きくやはり近づいてみたくなります(正確な数はよく判りませんが、遠くから見ても4~5個の穴が見える)。次回はジャングルを突破する道具か、海を渡る準備をして来なくては(笑)。
水路の浚渫工事部分を何気なく見ていたら、あまりにも素晴らしいノッチ(きのこ岩)を発見。写真を撮りたくて工事の方に声をかけてみたら、工事屋さんもその造形の素晴らしさは気になっていたようで、最新の注意を払って作業に従事しているというので少しだけ安心しました。

いくつか壕を巡ってみて、意外と戦跡があると判ってきたので、シリーズ初の続編としてみます。紹介しきれなかった戦穴について、もう少しお付き合い下さい。次回、「とある宮古の巡検雑記~スクリブラー~」

[海軍特攻艇格納秘匿壕]

[トゥリバーのマレル型特攻艇秘匿壕群]

[バックナンバー]
「宮古島を潜る」 とある宮古の巡検雑記 其の一
「宮古島を潜る」 とある宮古の巡検雑記 其の二
「宮古島を潜る」 とある宮古の巡検雑記 其の三
(文+写真+編集:モリヤダイスケ)
関連記事