「宮古島を潜る」 とある宮古の巡検雑記 其の七
はい。またもやお逢いしましたね!。宮古島で一番のマニアック話が読める「とある宮古の巡検雑記~スクリブラー~」を今回はお届けいたします。やっぱり南国・宮古島の醍醐味といったら“潜って楽しむ”ことですから、島そのものに思いっきり潜ってみましょう。隆起珊瑚礁という地質地形の特性から、宮古島の大地にはあっちこっちには穴があいているのです。そんな宮古島の穴を巡り廻る探検奇譚。
「瑞福隧道」
今回の穴ものはちょっと風変わりな穴を訪ね歩いて来ました。ひとつめの穴は近代遺産としても素晴らしい造りをしている、現役の放水隧道です。場所は城辺地区の加治道あたり、城辺線の城辺SSの近くを注意深く見ながら走っていると、宮古島には珍しく橋がかかっていることが判ります。橋と云っても架かっているのは自然の川ではなく雨水などを逃がすために作られた用水路で、今回の穴はこの用水路の末端にあります。
草生した用水路脇に「明日を拓く」と記された立派な石碑があらわれ、用水路の説明も用意されているらしいのですが、パネルが劣化しておりほとんど読み取ることができなくなっています(ただ、パネルは農水省の周辺整備事業に対して書かれた物のようです)。
さて、注目の穴の方ですが、周辺地域(比嘉下の島、池原底、福地原、加治道)は湿地帯が広がる低地で排水が悪く、梅雨時などは家屋や耕作地が2~3ヶ月も浸水する惨状だったため、浸水被害の対策として水を逃がす用水路と海へと排水する隧道を、1933(昭和8)年から4年の歳月を費やして建設しました(竣工1937年工)。
特に隧道は1000メートルもの距離がある大工事で、浸水対策に功績のあった時の村長、瑞慶覧朝牛の一字を取って「瑞福隧道」という名前が冠されています(市指定の史跡)。
特段、水路に水は流れてはおらず、少し湿ったコンクリートの川床も見てとれる、とても重厚な石組みの隧道入口が草むらの中に隠れています。美しいアーチを描く高い石組みの技術で作られた隧道の入口は、どことなく汽車でも走ってきそうな雰囲気すら感じさせます。
実は、植物園の裏手、大野山林の中にある「大野越排水溝」を取り上げる予定だったのですが、現地に案内板はあるものの、不法投棄のゴミが散らかっており、水路以外に隧道へたどり着くことが出来ないという現地の状況でした。せっかく先人が残した近代遺産もこれでは宝の持ち腐れでしかなくとしても残念でなりません(こちらの排水隧道も、瑞福隧道と同様に低地排水用に掘削されたものです)。
「旧・七原集落 霊石」
ふたつ目は厳密にいうと穴ではありません。いやいや、一応は穴の中にあるので、穴には間違いないのですが・・・。
場所は島の空の玄関口、宮古空港。そんなところに穴なんてあった?という方がきっとほとんどというでしょうね。穴は有料駐車場の入口の反対側(周回道路の外側)にきちんと整備されて鎮座しています。防護柵に囲まれた渦を巻くようにカーブした階段が穴の底に向かって作れている。およそ2メートルほどの深さの穴の底は、大量の雑草が繁って人の侵入を拒んでいますが、よく見ると茂みの中に大きな岩が隠れています。
この岩はかつてこの地にあった旧・七原集落で崇拝されていた大切な霊石なのだそうです。1943(昭和18)年、軍の命令で旧・七原集落は飛行場建設(現在の宮古空港)のために用地を接収され、移住を余儀なくされましたが、集落の霊石と御嶽はそのまま残されました。
霊石と同様に残された御嶽(山うり御嶽)は、空港入口の交差点のすぐ脇に生い茂る小さな森の中にあります。こちらもほとんどその存在を知られていない御嶽だと思います。そしてこの御嶽の入口には旧・七原集落の地図が掲げられており、かつては村の御嶽だったけれども、今は空の安全を祈願する御嶽となったと記されていました。航空神社は聞いたことがありましたが、航空御嶽とうのは初めて聞きました。別にお札を売っているわけでもありませんが、飛行機好きなら一度はこの御嶽に参ってみるのもいいかもしれません。
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実際に記事を書きだして見たら、今回の穴はちっとも穴らしくありませんでしたが、どちらもひと味変わったストーリーを持った穴の紹介となりました。文字通りに「雑記」となったかもしれません。マニアックに島の穴を求めて島を探検続けていますのでお楽しみに!。
[瑞福隧道]
[旧・七原集落 霊石]
[バックナンバー]
「宮古島を潜る」 とある宮古の巡検雑記 其の一
「宮古島を潜る」 とある宮古の巡検雑記 其の二
「宮古島を潜る」 とある宮古の巡検雑記 其の三
「宮古島を潜る」 とある宮古の巡検雑記 其の四
「宮古島を潜る」 とある宮古の巡検雑記 其の五
「宮古島を潜る」 とある宮古の巡検雑記 其の六
(文+写真+編集:モリヤダイスケ)
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