パーントゥプナハ2010

あんちーかんちー編集室

2010年10月22日 09:00


今年もまた島尻集落に独特なあの臭い泥の怪人・パーントゥが出現しました。その風貌からつい畏怖を抱いてしまいますが、パーントゥはれっきとした神様(来訪神)であり、集落の厄を払いにやって来たのです。パーントゥから泥を塗られることで無病息災がもたらされるのですが、塗られるその様子たるや文字通りの阿鼻叫喚な世界なのです。


一般にはパーントゥと云い習わされていますが、本来は一年を通して島尻の集落でおこなわれるサトゥ・プナハ(里祓い)という神事(旧暦の3月・6月・9月に行われる)の締めくくりとして、厄落しのためにパーントゥが出現する「パーントゥ・プナハ」という神事なのだそうです。
夕刻、集落のはずれにあるウマリガー(生まれ井戸)から、泥に覆われたキャーン(蔓草)を身にまとい、伝説の面と杖を手に親(ウヤ)、中(ナカ)、子(ファ)の三体のパーントゥが悠然と姿を現しました。
怖い怖いと口では云いながらも、物見の体でパーントゥに近づく集落の子どもたちは、あっという間に泥の餌食になってしまいました。

やがて集落へと入ったパーントゥは、元家(ムトゥ)へ立ちと寄って島人たちから泡盛で歓迎を受けます。車座になってパーントゥを迎えるホスト役の島人たちは、平然とパーントゥから泥を塗りたくられますが、そのまま神様であるパーントゥをもてなし続けます。
集落を歩いて行くパーントゥを遠巻きに見守っている観客に向け、不意にパーントゥは動いて抱きついて泥をつけにたり、時にダッシュして猛然と追いかけてみせたり、追われている標的から急に進路を変更して襲いかかったりと、次々と泥を塗られた犠牲者が断末魔とともに増えてゆきます。
小さな子どもは母親らに抱きかかえられたまま、近づく異形の神・パーントゥにおののき泣き叫びながら泥を塗られたり、泥を塗られてもいったい何が起こったのか判らず放心状態の子も。

パーントゥは集落に作られた新築へは、厄を落としに必ず訪れるお約束があります(時に家の中まで入り込んで泥をつけます)。今年は島尻購買店が移転新築されたので、祭りの前からちょっと楽しみだったのですが、パーントゥが始まると入口のシャッターを閉めて店内への侵入を許さなかったようです。
一方、鍵をかけ忘れた路上駐車の車の後部座席に乗り込み、たっぷりと泥を残していったり、交通規制に当たっている警察官を泥まみれにしたりと、国家権力にも屈しない傍若無人な神様っぶりをパーントゥは楽しませてくれます(当人でなく、見ている分には)。
公民館前の前線基地で泥の補給と休息をとるパーントゥを見守る観衆に向け、泥つきキャーンを投げつける荒業のサービスして、臭き泥の恐怖を煽ってみせます。

増え続ける泥の被害者。とはいえ厄を払うお祭りの縁起物であり、ある意味、集落あげての壮大な鬼ごっこ。塗られた泥のあんばいを自慢しあったり、記念撮影に興じるています。
その一方で近年のパーントゥは観光客が増えすぎたこともあり、追うべきパーントゥが逆に観光客に追われて逃げ出すという、神事としてはありえない雰囲気になっていたり、以前のおどろおどろとした畏怖感が薄れてしまっているのがとても残念でなりません。

それでも日が暮れるとパーントゥの闇へと同化する能力のポテンシャルは圧倒的で、街灯のない裏路地などではパーントゥのそばでもいない限り、その姿を確認することは容易ではなく、突然、漆黒の闇の中からぬうっと現れる異形の来訪神・パーントゥの本領を遺憾なく発揮して、その神たる戒めの恐怖を魅せつけていました。

数百年も前、島尻の北にあるクバ浜へと流れ着いた、クバの葉に包まれたひとつの面がパーントゥの伝承の始まりといわれています。トカラ・悪石島のボゼや秋田・男鹿半島のナマハゲと同様に、異形の来訪神として畏怖され島の祭事と結びついて神格化されたと考えられます。間違いなくその昔の電気もなにもない頃のパーントゥは、きっと大人でも本当に怖かったのではないでしょうか。
21世紀となった今、昔のままであり続けることは困難ですが、奇祭としても名高く(国指定の重要無形民俗文化財でもある)、永きにわたり親しまれているパーントゥは集落の大切な伝統行事です。観光として楽しむことも大切ですが、敬意と節度をもって接することが求められていると思います。泥をつけられ息災を望むとしたら、来年もまたパーントゥが存分に楽しめることを願うことにします。

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(文+写真+編集:モリヤダイスケ)
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