2009年01月16日
綾道マップ[宮古島逍遥]×[島AP] 特別編
![綾道マップ[宮古島逍遥]×[島AP] 特別編](http://img04.ti-da.net/usr/akmiyako/ayan_top.jpg)
あれれ?「島AP×島AP」は先週やったんじゃない!?っと思ったアナタ。間違いなく「あんちーかんちー」ファンです。いやいや、コアな宮古島ファンだはずね(笑)。
今回はいつもマニア目線でかんちーな企画を展開している「宮古島逍遥」を、「島AP×島AP」の特別編としお届けします。
取り上げるネタは「島AP×島AP」の元祖的な存在として、2001年に旧平良市の総務部企画室が展開した、「平良 綾道マップ(ピサラ アヤンツマップ)」。発行から8年の月日を経た今、あえて取り上げて見ることにしました!。
島の言葉で「美しい道」と名づけられた「綾道マップ」は、平良の古くからの中心地として平良五箇(ピサラグカ)と呼ばれる、西里、下里、荷川取、東仲宗根、西仲宗根の五村を、歴史・文化をテーマにして巡るウォーキングマップです。それでは早速、「島AP×島AP」風に旅に出てみましょう。
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![綾道マップ[宮古島逍遥]×[島AP] 特別編](http://img04.ti-da.net/usr/akmiyako/ayan_010.jpg)
スタート地点は宮古島市役所・平良庁舎前。平良港へと続く県道243号線沿いに据えられた「綾道マップ」の看板から。早速、公用車駐車場をズカズカと横切って裏通りにある、第1ポイントへ向かいましょう。裏通りとはいっても、そもそも県道の方が後から作られているので、時間軸から見たら県道の方が裏になるのかもしれませんがね。
横切った駐車場のすぐ脇、ブロック塀で囲まれた緑いっぱいの御嶽が現れました。近すぎです・・・ここが1番目のポイント「住屋御嶽(すみやーうたき)」でした。
この御嶽には、継母にいじめられて穴に落とされるも、不遇な子供を残念がった神が、現世に送り返したという伝説があるそうです。また、学問の神様でもあるとのことですから、センター試験に向けて参拝に行ってみてはいかが?
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第一ポイントがスタートの隣というオチから始まりましたが、気を取りなおして市場通りへと出て、イーザトの入口に進みます。「綾道マップ」ではビルの角を曲がるように書かれていますが、市場通りの拡幅・対面通行化で、ビルはすでに取り壊されて空き地となり、この交差点には信号機が設置され、隔世の感が否めません。
そのまま進むと宮古島最大の歓楽街イーザトになりますが、ひとつ目の角を曲がって急な坂を下ります。「綾道マップ」によると「親越の坂間」という名がつけらけていようですが、その途中に第2ポイントの「ドイツ皇帝博愛記念碑」があります。
博愛関連はドイツ村に代表されるように、遭難現場の宮国のある旧上野村が有名で、ドイツ商船遭難の碑などがありますが、ドイツ語らしき言葉で書かれた古めかしい石碑は、なぜか平良に設置されているようです。それにしてもここは、記念碑を説明する碑が多すぎやしませんかね?
余談として、どうでもいいことなのですが、記念碑の隣の敷地に「金剛禅寺」という標柱が立てられている建物に、「ホテル大越」と壁に描かれてペイントがありました。これってまさかと思うけど、宿坊ってこと?
坂を下り切ると、また坂道です。市役所前から平良港へと降りる坂道ですが、改良前の曲がりくねった旧道の名残をあちこちに見つけることが出来ます。坂を登り市役所前の交差点を左折して、次のポイントの宮古神社へ。
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「綾道マップ」で取り上げている第3ポイントは、宮古神社そのものではなく、参道にある隣の建物。宮古上布で名高い、伝統工芸センター(関連記事)」が建っているところが「貢布座跡(こうふざあと)」でした。貢ぐ布というだけあって、人頭税が廃止されるまで貢納布に関する業務を取り仕切っていたところだったそうです。取り扱う内容は、今もそんなに変わっていないところが面白いです。
また、「貢布座跡」に関連する、「産業界之恩人記念碑」(宮古の産業界の基礎をつくった、松を島にもたらした下地親雲上恵根、野国総管よりも先に芋を紹介した砂川親雲上旨屋、宮古上布の祖となる綾錆布を織った稲石刀自の三者を顕彰した碑)と、「稲石記念碑」も「綾道マップ」に印されています。このふたつの碑は宮古神社の中に建てられており、碑を眺めつつ境内を抜けて階段で裏道の坂へと下ります。
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住宅地の緩いカーブを進み、宮古神社の真裏にある第4ポイントの「観音堂経塚」へ。
「綾道マップ」の案内板がやや判りづらく、あやうく見逃すところでした。「観音堂経塚」はコンクリートで作られた小さなお堂なのですが、敷地の中にはさまざまな石碑や遺構があり、その中に人頭税石に似た石柱を見つけました。それがいったい何んなのかは判りませんが、実はこれも人頭税石だったりしたら・・・なんて妄想がつい広がってしまいました。
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次の第5ポイントはお隣の「祥雲寺と石垣」です。近代的な建物と併設の幼稚園があるので、外壁の石垣とは対照的で、あまり寺院らしさが感じられない造りになっています。暮れ六つにゴーンと市中に鳴り響く鐘楼もビルの屋上にありました。
「綾道マップ」で祥雲寺の向かいには「平良市民会館」と描かれていますが、2005年にその建物は取り壊されてしまいました。元来ここは宮古神社があった場所だそうで、戦後の混乱で所有権が市有地とされてしまい、本土復帰の1972年に平良市民会館が建てられ、長らく市民に利用されて来ました。その後1996年にマティダ市民劇場の完成したことや、老朽化が進んだことから市民会館は使用されなくなり、60年余りの時を経て宮古神社へと返還されたました。未だ新・宮古神社を建立の予定はまだなく、どうやら祥雲寺の駐車場として利用されているようで、なんとも不思議な感じがします。
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祥雲寺から踵を返し、第6ポイントへ向かう途中で「ニコライ・A・ネフスキー之碑」というのを見つけました。1920年代に宮古島研究したロシアの東洋言語学者で、宮古島でかなり詳細な調査研究をされた方なのだそうです。第二ポイントのドイツに続き、北の大国ロシアへ繋がりました。宮古島って実はとっても国際派だったようですね。
尚、この碑の建立は2002年なので、当然「綾道マップ」には記されていませんが、次の第6ポイントはこの碑の真下にある「漲水石畳道」なので、あわせて記しておくと、「漲水石畳道」は別名、ネフスキー通りと命名されているそうです。空港からドイツ村までのシュレーダー通り(沖縄サミットの時に、来島した当時の独首相の名を冠した)に続く、あやかり命名なのだとは思いますが、なにも石畳につけなくてもと思いました。
さて、いにしえの石畳の坂道を下ってみましょう。特に汚れてはいませんが整備状況としてはちょっと微妙です。凸凹としてかなり歩き辛い道で、石畳として名高い首里の金武町のように保存されているというイメージではありません。もっとも、「漲水石畳道」は当時の三分の一程度しか残っていないなど、その規模がぜんぜん違いますけど。
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石畳を下り切ったら、大きな鳥居に出迎えられて第7・第8ポイントに到着です。第8ポイントは石畳の始点でもあり、説明不要の「漲水御嶽」なのですが、もう一方の第7ポイント「蔵元跡」が今度は怪しい感じです。
蔵元といっても、お酒を造っているとこではなく、王朝時時代の宮古島を治める役所、今でいうところの宮古支庁といったところでしょうか。しかし、そこにあるのは跡を印す標柱しかありませんでした。
これ実は意外にも正しく、蔵元は石畳の北側にどーんと広がっていたということらしく、現在は家々が立ち並んでしまい遺構は失われているようでした。
第8ポイントの「漲水御嶽」から旧道(第2ポイントで取り上げた旧道の続き)を抜けて、海沿いへ抜けました。埋め立てが進んでいるので水面はほとんど見えませんが、このあたりが御嶽の裏に位置していたといわれる、漲水港だった付近と思われます。ここからはしばらく港湾道路を北上しますが、かつてここが浜辺だった面影はほとんどありません。
[参考HP:平良港湾事務所 大正時代からの平良港の写真があります]
現在の平地部分のほとんどは新たに埋め立てられた場所なので、左側の急斜面の裾野にへばりつくようにして、わずかに人家が建っています。そんな家々の間に、細い路地がありました。路地は家の裏の急峻な崖へと続いており、家の奥には斜面を利用して作られた亀甲墓が隠れていました。そう、ここは崖沿いに墓が立ち並ぶ通りでもあるのです。
そんな中に第9ポイントの「仲宗根豊見親の墓(なかそねとぅゆみゃのはか)」があります。さすがに宮古島でも有名な歴史上の人物なので、他の一般の墓に比べて、とても立派な造りになっています(仲宗根豊見親:15世紀末から16世紀初頭にかけて宮古を統治した人物です)。
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「仲宗根豊見親の墓」の奥、崖に這うように作られた細道を進むと、緑に囲まれた中に野趣にあふれた第10ポイント「アトンマ墓」がありました。ここは仲宗根豊見親を祖とする忠導氏ゆかりの墓で、継室(後妻)専用なのだそうです。
石門をくぐってちょっと中を覗いてみようとした時、崖に茂る木々がバサッと揺れ、羽根音が頭上をふいに横切りました。飛影は大型の猛禽類の姿、サシバでした(関連記事)。
ほとんどのサシバは寒露の頃に南へと渡っていくのですが、まれに宮古島で越冬する「島番鷹(スマバンダカ)」といわれているサシバでした。まさかこんな市街地に近い場所にいるなんて驚きです。
「アトンマ墓」から戻るようにさらに奥へと続く小道へ寄り道をしてみたら、先ほどの路地の奥にあった亀甲墓に繋がっていました。「綾道マップ」の正規ルートではありませんが、徒歩ならばこの道を辿った方が、より面白みがあるように思います。
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さらに「綾道マップ」の墓巡りは続きます。石壁に囲まれた第11ポイントの「知利真良豊見親の墓(ちりまらとぅゆみゃ)」です。このかなりの難読名前の方は仲宗根豊見親の三男で、大野山林の造営に尽力したのだそうです(余り知られていませんが、現在の宮古に天然林は少なく、ほとんどが人造林です)。
この墓の前に立てられていた標柱に、1952年から20年間しか存在しなかった「琉球政府文化財保護委員会」の文字を見つけました(沖縄諮詢会から沖縄民政府、琉球臨時中央政府を経て誕生。この間の約4年ほど、宮古島は宮古民政府という宮古支庁の組織を流用した、いわばミニ独立国でした)。
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やっと墓街道?もラストスパート、第12ポイントの「恩河里之子親雲上の墓碑」。
さらに難読な名称は、「おんがあさとぬしべーちん」と読むそうです。注意していないと見過ごしそうな、小さな細道を奥に入った墓地群の中にありました。
ここまで立派な墓がいくつも続いていたので、ついつい隣にあったコンクリート製の亀甲墓を見てしまいましたが、実はそのお隣にある自然に返った墓っぽい場所でした。
市街地は今でこそ家並みが途切れなく続いていますが、集落単位だった頃は人の住まない集落の外縁部に墓が作られてきました。なので古くからの墓がある場所は、いわば村はずれだったので、ようやく墓シリーズも終って、再び人家も増え始めたので次の集落へと着いたようです。
![綾道マップ[宮古島逍遥]×[島AP] 特別編](http://img04.ti-da.net/usr/akmiyako/ayan_100.jpg)
旧道に入ったところに第13ポイント「真玉御嶽」がありました。海沿いを通って次の集落に移ったので、てっきり荷川取だと入ったと思っていたら、御嶽には西仲宗根字会と書いてあってちょっとびっくり。
びっくりついでに御嶽入口の門柱は金の玉・・・金色に塗られた浮き球でした。なぜに?
「綾道マップ」のコース上で、「漲水御嶽」と並ぶ有名な観光地の第14ポイントは「人頭税石」。改めて「観音堂経塚」の石柱と「人頭税石」を見比べてみると、「観音堂経塚」の石は石碑のように平べったい感じがするので、やっぱり妄想は妄想だったのかもしれません。
身長が「人頭税石」の高さ、143センチを越えると、過酷な税が課せられた史実はなく、年齢によって課税されいたので、妄想そのものが間違っているのですけどね。
![綾道マップ[宮古島逍遥]×[島AP] 特別編](http://img04.ti-da.net/usr/akmiyako/ayan_110.jpg)
「綾道マップ」にはもうひとつ、「ンミャガーニ御嶽」が付記されていますが、それらしきものはないかと見回してみましたが、名前も判らない小さな御嶽や怪しいガー(泉)っぽい穴しか見当たりません。
「人頭税石」はンミャガーニのウプユマタ(宮金家の大四辻)という場所(住所的には荷川取)にあり、その宮金氏は第11ポイントの知利真良豊見親の子孫なのだとか。もしかしたら「人頭税石」そのものが「ンミャガーニ御嶽」なのかも。
※ ※ ※
「綾道マップ」はなかなか侮れませんね。見どころ満載、話題も豊富、楽しすぎるウォーキングマップです。で・す・が、レポートはまだ半ば。あまりに面白いので、ついつい筆もノッてしまい原稿の尺がオーバーしてしまいました。
そこで「あんちーかんちー」初!次回に続きます!。
次号、『綾道マップ[宮古島逍遥]×[島AP] 完結編』を括目して待て!
(文+写真+編集:モリヤダイスケ)
Posted by あんちーかんちー編集室 at 09:00│Comments(0)
│かんちーな企画