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2011年02月15日

宮国優子の「思えば宮古」 第拾九號

宮国優子の「思えば宮古」 第拾九號
138年前、嵐に遭って宮古島に流れついたエドが、帰国を果たすことを待つように、2010年7月16日以来となる、あららがま パラダイス コラム 『思えば宮古』が遂に遂に帰ってまいりました。宮国優子がここに堂々の復活です!。それでは再びの第拾九號のはじまりはじまり~。

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『博愛は美談 ~日記の中のエドゥアルド~』 巻の拾
宮国優子の「思えば宮古」 第拾九號
大変ご無沙汰しています。宮国です。
一身上の都合で、なかなか原稿をあげることが出来ず・・・。そーこーしている間に季節も変わってしまいました。オリックスキャンプの時期になってしまうあたり、自分のだらしなさにつっこみ満載です。エドを見習って「継続は力なり」を今年の目標といたします。

皆さん、すっかりお忘れになったかもしれませんが、前回は7月13日の日記のエドの日記について書いております。もちろん1873年ですが。今から138年前です。私も何度か書いていますが、その時代はいろいろな船が日本のまわりを航海していたらしい(確実な数字は国会図書館とかで調べないと出てこないかもしれませんが、ネットを検索しただけでも相当数の情報が得られます)。外国船の航海や沈没の類いは、日本では海のそばに住む人は風の噂ぐらいは聞いたのかもしれません。

昨年の2月22日の日経新聞に小さな二段組の記事が載っていました。和歌山県沖で見つかった沈没トルコ軍艦のお話です。どうやらその軍艦に皇室からもらった菊の紋章入りの皿の破片が残っていたことがニュースになり得た理由らしいのですが。気になって切り抜きしておきました。それが私のネタ本「ドイツ商船R.J.ロベルトソン号宮古島漂着記」の7月13日のページからはらりと落ちてきました。すっかり忘れていたのに、なんだか気になって読み込みました。

宮国優子の「思えば宮古」 第拾九號記事の結びは「エルトゥールル号はオスマントルコ時代の木造軍艦で1890年、明治天皇に親書と勲章を献上し、帰国途中で台風に遭い沈没。これまで鍋や硬貨、弾丸など計約6800点が引き揚げられた」となっていました。6800点ですよ!、驚きの数字です。
それもそのはず、我がロベルトソン号とは規模が違いました。詳しくはwikiを参照していただければ、実態がわかると思います。587名が死亡または行方不明。生還者は69名なのですから、まったくスケール感が違います。

まぁ、何が言いたいかというと、このエルトゥールル号に関しての情報の膨大さなのです。少し調べてみると、その頃の関係者の名前もガンガン出てきます。そして、トルコが国をあげて、日本政府や現在の串本あたりの大島村民による救助活動や日本政府の尽力が伝えた、らしい。なので当時のトルコの人々は遠い異国である日本と日本人に対して好印象を抱いたといわれている、そうです。トルコを訪れた友人が「トルコは親日家だよ~。日本にいる以上にモテた!」と喜んでおりましたが、それはその余波かもしれません。よく聞くんです、まじで。

宮国優子の「思えば宮古」 第拾九號現在、和歌山県串本町(本州最南端の地)にはエルトゥールル号殉難将士慰霊碑とトルコ記念館が建っている、らしい。また、町と在日本トルコ大使館の共催による慰霊祭も5年ごとに行われている、らしい。いろいろ検索をかけてみると、この地域なんだか島のような雰囲気です。「黒潮踊る南紀串本」って書いてありました。ダイビングスポットでもある、らしいのです。
あら、宮古と似ている感じです。親近感が勝手にわきます。つい最近と言っては過言ではない100年前は命をかけた黒潮が、今やダイビングスポットです。観光資源です。まんま宮古と同じですね。何にしろ時代によって価値が変わるってことですね。「時代による」・・・言ってしまえばひと言で終わってしまいますが、この事実は案外忘れてしまいがちの現代人、今日この頃です。

そして、なぜこのエルトゥールル号がこうも地元でフューチャーされ続けいるか、という謎について考えてみました。それはやっぱり国の歴史というものが根深く繋がっているのですね。地元では書籍はもちろんのこと、トルコに渡ったりと、このエルトゥールル号やトルコにご縁があった人たちが、脈々と布石を打っている。
しかし、トルコとは公的な国交を持つにはいたらなかったらしいのに、民間レベルではかなりの交流!。公的な国交を持ち得なかった理由は、日本側が欧米列強と同等の待遇の条約をトルコに望み、治外法権を認めるよう要求したせいです。大きく出てます、日本国。まぁ、もちろん「オスマン帝国は不平等条約の拡大を嫌い、両者の交渉が暗礁に乗り上げたためである」と記されている。

このエルトゥールル号の流れは、我がロベルトソン号の17年後の話なのですが、その間、日本国内も様々に入り乱れていたのだなぁと感慨深いです。そして、どんどん軍事というか、ジワジワと領土拡大をしていった様子が感じられます。

宮国優子の「思えば宮古」 第拾九號この一連を読んでいて、さらに驚いたのが、トルコでは日露戦争の日本海海戦時の連合艦隊司令長官であった東郷平八郎提督にちなんで、“トーゴー"という名を、子供につけることが流行したということ。わたしたちが“オバマ"とか、名前をつけるような感じでしょうか・・・いや違うな。
東の小国・日本の快挙として日本の勝利を熱狂したそうなので。長らくロシアから圧力を受け続け、同様にロシアの南下圧力にさらされる日本に対して親近感を高めていた、らしいです。
えーと、要はでっかい国に虐げられた感があったってことですね、日本もトルコも。あ~なんだか気持ちがわかります。ここらへんはすべての受け売りですが。その時代に生きてはいないので、実感はありませんが、他の書物を読んでも、そのあたりはヒシヒシと伝わってきました。

関係ないのですが、私の知るトルコ人(20人くらい)は、みんな顔が宮古の人に似ていました。宮古の同級生は大学受験時トルコあたりの国々の人に間違えられ、留学生枠の教室で試験を受けさせられそうになったくらい、作りは似ています。脱線しました。でも想像すると毎回苦笑してしまいます。素敵な同級生エピソードです。ね、池間君!今や立派な刑事ですが。

ここから、しばし、時間差。

実は、日中、この原稿を書いているとき、ちょっと流れがわからなくなっていました。書き込むにはもう一度流れを知らないとまずいな、と思ってパソコンから離れた3時間後、ぼんやりテレビを観ていたら偶然エルトゥールル号事件の話を「池上彰の学べるニュース3時間スペシャルが」でやっていました。
だいず、宮古の神様から贔屓されてるさいが。親日家の多い外国は、というトピックで、なんと延々と説明をしてくれました。だいずラッキー。

宮国優子の「思えば宮古」 第拾九號で、一緒に観ていた小学二年生の娘(8歳)が、「おかあさん、この船の話はトルコでは誰もが知っている話なんだってよ~!」と得意そうに言うではないですか。
「えぇ~、あたしもよく知らんのに~」と驚いたのもつかの間、なんと娘の担任の先生が、先日トルコに旅行して、その話をしてくれたそうで、いろいろと知っておりました。今や光村(教科書会社)の道徳の本にも出てるらしい。ひぇ~。
イラン・イラク戦争の時の恩返しの話まで知っていました。私はそこらへんの流れが判らんかったのに。小学二年生に負けました、がっくし。

で、悔しいので、しつこくこの時間まで(現在午前1:51)調べてみると、エルトゥールル号の生還者をトルコまで送り届けたのが、当時の日本海軍だそうです。その中に秋山真之もいたそうです。あの『坂の上の雲』の主人公ですね(まだ読んではいませんが・・・汗)。
おおぉ、芋づる式にテーマが出て参りました。秋山真之といえば日露戦争の日本海海戦でロシアのバルチック艦隊作戦を立てた人物。なんだか何か因縁めいたものを感じるのは私だけでしょうか。

そうなのです。バルチックと聞くと、宮古の人は思い出さずにいられないヒーロー・久松五勇士です。歌もあるくらいですから。1905年5月23日、ロシア海軍のバルチック艦隊が北上していることを石垣島の通信施設に知らせ、東京の大本営へ伝えられた、とされています。彼らのことは「思えば宮古」で何度も書いています。
『坂の上の雲』にも久松五勇士が登場しているらしいです。彼らは任務を遂行した後、この事を長年秘密にしていたらしい。見返りもなく、命を落としかねないのに、よく引き受けたものだと思う。そして、戦意高揚か、なんのためかわかりませんが、25年後に県知事から表彰されたらしいです。そして、30年以上たってから、日本のマスコミに取り上げられ、これもまた教科書にまで載ってしまう、という複雑な流れ。わかりにくーい。facebookとかtwitterとかあったら、3日で終わりそうな話です。

宮国優子の「思えば宮古」 第拾九號さてさて、前は南洋まで話が行ってしまいましたが、今日はまさかトルコまで話がいくとは思っていませんでした。調べれば調べるほど、当時の宮古の人たちが気になってしょうがありません。当時のマスコミでは、愛国心を賞賛したそうですが「島司橋口軍六への気づかい、心づかい、思いやりという実に単純なことではないだろうか」と言及したブログ記事がありました。

なんだかなぁ。国家という大きな歯車と地域(宮古)という小さな歯車が噛み合って、歴史という物事が動いていくような、そんな気がする。まぁ、当たり前と言えば、当たり前か。その渦中で宮古の人はどうやって生きていたんだろう。胸騒ぎのような妙な気分になる。

そして、こういう時、いつも頭をかすめることがある。例えば、今の社会情勢や政治の悪い側面、人でなしの事件をニュースを知ったりするとき「それは決してどこかの誰かの話じゃないんだよな」ということ。その社会の一端を担っているのが一人一人であって、私自身でもあるんだよな。万が一、明日戦争がおきたりしたら、その一端は声を出さなかった自分にもあるかもしれない。考え過ぎだけど。この辺りをなぞるといつも複雑な気持ちってことは、私にとってこうして社会と個人の接点を改めて考えさせられる、良いきっかけなんだろうとも思いたい。

宮国優子の「思えば宮古」 第拾九號私事で、そして話が飛びまくって恐縮ですが、先日、アカシックレコードが読める人に会いました。前世も読めるらしいです。す、すごい。すごくないですか?テレビでしか見たことなかったので、感動しました。ユタは身近だし、「あんたは3代前の◯◯の生まれ変わりさー」と言われても違和感なく聞き流すのに、なんか違うアプローチに出会って女子っぽいスピリチュアル満載で胸がときめきました(宮古のユタだと土着すぎていきなりおばさんな対応をしてしまいます。嫌いじゃないですけどね、なんかついなじんでしまうのです)。

そのSさんが「何でも聞いて下さい」というので、悩みのない私はおもわず「皆さん、何を聞くんですか?」と聞いてしまいました。「恋愛とか結婚とかですかねぇ」とのこと。さすが女子。「これから先、死ぬまでときめきはありません」と断言されたら憤死しそうなので、そこらへんは聞くのは一応避けておきました。

考えた末、「人生のテーマみたいなのがあれば教えて下さい」とすごくぼんやりとしたことを聞きました。すると即答して下さったのが、「平和を伝えることですね」と笑顔で返されてしまいました。「そ、それって、あの~、普通にテーマとしてありですか?」。「ないですね(笑顔)」。いろんな意味で笑うしかありませんでした。って、ことで、平和の使者になることにします。そのためにはやっぱり歴史を勉強しないとねぇ。そして足下を掘り起こさないとねぇ(なんという結びだ)。

宮国優子の「思えば宮古」 第拾九號南紀串本の人たちがトルコのエルトゥールル号を助けたおかげで、その恩返しとしてイラク戦争時に、トルコ航空は邦人の救出劇を買って出てくれました。美しいです、助け合い。ロベルトソン号も同列なんだと思います。
でも悲しいのが、どの話も戦時下とかキナ臭い時代がついて回るということ。悲劇の中に、きらめく美談ばかりです。宮古とドイツも南紀串本を見習って、さらに交流みたいなのができるのでしょうか。

えー、今回も脱線して、めちゃくちゃ遠くに着地しました。こうした歴史に関することのワークショップなどが、通称文化センターで行われるといいなぁと思ってしまいます。島の子どもたちが(いや、大人も)自らの足下を知ることは、自分の命や、ひいては他人を尊重することのような気がするから。そこに無駄な争いはないような気がします。そして「足下を知ることから生まれる自己肯定感や自己効力感」。実はそれこそお金で買えない人生の魔法の杖のような気がしている今日このごろです、はい。

※     ※     ※

【参考書籍】
「ドイツ商船R.J.ロベルトソン号宮古島漂着記」
財団法人博愛国際交流センター 編集・発行 平成7年初版
※残念ながら入手困難な稀覯本ですが、図書館などで読むことが出来ます。

「劇画かがり火―ロベルトソン号救助物語」
作画:新里堅進・ 監修:上野村役場企画調整課 平成8年初版
※本文の音読劇とは異なります。島内の書店にて入手可能。

【関連資料】
エルトゥールル号遭難事件(wikipedia)
八重山石垣島雑学帳/宮古の海人久松五勇士激漕15時間(3)

【関連記事】 かんちーな特集
「博愛美談」ドイツ商船ロベルトソン号遭難事件
坂の上の船 -水平線の彼方にあるもの-前編
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