2010年01月08日
ゲンキのミナモト~3人のゲンキ君~

「ゲンキですか~!」っと叫んだら、某プロレスラーのお得意の掛け声ですが、島ではやっぱり「元気の子」ではないでしょうか(強引)。これは島で親しまれている乳酸飲料で、「元気生活」という会社が生産していますが、旧社名の「宮古ゲンキ乳業」と呼んだほうが通りがいいかもしれません。そう、あのゲンキ君のキャラクターで有名な牛乳屋さんです。ということで、今回もマニアックに「ゲンキ」について自由研究。
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「ゲンキ」はあんちーかんちーで連載中のWEBコミック、「ブットゥルー!」にも出て来るほど、島の生活に密着しているブランド。コミックの中に出てくるのは、いわゆるコーヒー牛乳の「ゲンキカフェ」ですが、ゲンキといえば前出の乳酸飲料の「元気の子」もあります。勿論、元気生活は乳業なので牛乳も販売していますが、その商品名はなぜか「うしさんありがとう」。申し訳程度にトレードマークのゲンキ君のキャラクターが記されているに過ぎません(ゲンキカフェ、元気の子に至ってはゲンキ君の姿すらありない、どこかイメージよりも淋しい雰囲気)。

実は県内には「ゲンキ」というブランドを使用している乳業が複数あるからなのです。それでは、ちょっとだけ「ゲンキ」の謎を自由研究してみましょう。

沖縄森永の沿革によると、1955年に沖縄アミノ酸ヤクトール本舗として本島で創業。1962年にゲンキ乳業へと改称し、学校給食用ミルク製造の供給を開始するなど業務を拡大しますが、1970年に森永乳業と資本提携によって沖縄森永と社名を改め、本島地域ではブランド名のゲンキは消滅します。
すでにこの頃、先島地区では宮古と八重山にそれぞれのゲンキ乳業があり、直接の資本関係はないものの各地域のゲンキ乳業として、高いブランド力を持って独自に営業をしていました。

森永対明治のブランド代理シェア争いは、沖縄県推奨優良県産品の指定を受けている沖縄明治が、全国シェアと同様に明治が県内1位を誇示しています。

しかし、シェア奪回を目指す沖縄森永は、創業50周年を迎えるにあたって、加工乳ブランドの「森永かりゆし」を2004年に「森永ゲンキミルク」へと改め、遂に「ゲンキ」のブランドが復活します。
これを契機に森永は畳み掛けるように「ゲンキ」ブランドを強くアピール。2005年にはCMソングのCDを発売(TV・ラジオでもCMとして流れる)したり、オキコのライバルである「ぐしけんパン」とのコラボ菓子パンを出すなど、ムーブメントを巻き起こします。これに引きずられるように1990年代にはレア物だった、宮古ゲンキの「ゲンキTシャツ」も人気の土産物となりました。

そしてようやくマニアックな本題です。もっとも、すでにバンバン画像を紹介しているのでお気付きと思いますが、森永ゲンキ、宮古ゲンキ、八重山ゲンキでそれぞれシンボルマークとして活躍している、3人のゲンキ君のデザインが違っているのに気づきましたか?。
森永ゲンキは胸のマークがゲンキのGではなかったり(現在のパックやHPでは、しれっとGになっています)、宮古ゲンキは髪型は森永ゲンキ風だけど、顔つきは八重山ゲンキ風です。八重山ゲンキは至ってはちゃんと靴を履いて髪もウェーブがかかっています(これだけがカラーなのは、現地調査で看板を発見した結果です。尚、森永は過去にカラー商品を販売していましたが入手出来ず。宮古は単色のみしか存在していない模様)。こうして見比べるとなかなか面白いですね。

ついでといっては失礼ですが、今回、ゲンキの隅でちょろちょろと映りこんでいる、宮古と八重山のゲンキ君のライバル「ジモ乳」。宮古のアサヒ乳業と八重山のマリヤ乳業もがんばっているのでお忘れなく!。

[参考]
漂流乳業 ゲンキ牛乳
仲村オルタの島ブロ小2 森永ゲンキミルクの謎
沖縄発 役に立たない写真集 牛乳・乳飲料
南西ブログ 沖縄ジモ乳の雄、ゲンキ牛乳の歴史を知る。
[宮古ゲンキ ポストカード]
DESIGN MATCH ポストカード販売
※今回のかんちーな企画は「やいまfromみゃーく」として、八重山での現地取材を通して、宮古を見直した自由研究の第一弾。第二弾も鋭意準備中です。お楽しみに~!。
(文+写真+編集:モリヤダイスケ 協力:DESIGN MATCH)
Posted by あんちーかんちー編集室 at 09:00│Comments(0)
│かんちーな企画