2009年11月20日
宮国優子の「思えば宮古」 第拾號
紆余曲折を経つつも遂にエドの日記へと迫り始めた、さいが族酋長・宮国優子の『思えば宮古~あららがま パラダイス コラム~』第拾號。鋭い観察眼で熱く深く、奔放に自由研究は面白さを増して行きます。
今回は台風のごとく慌しく一時帰島した宮国優子自身による、フォトもお楽しみください(なんでも初めて帆船~ヨット~に乗ったと加熱気味に語っていたので)。
※ ※ ※
『博愛は美談 ~日記の中のエドゥアルド~』 巻の弐
前回、私。以下のように書きました。
『次回は、その台風の様子、島人との「未知との遭遇」にフォーカスします。いや、案外泣けるんだ、これが・・・』
で、でも白状します。ちょっと別の印象まで持ち始めています。何故かというと、数日前、宮古に行った際に初めて帆船にのりました。ヨットですね、ヨット。おかげさまで、かなりのセレブ感あふれる旅でした。半日の予定が色々ありまして、宿泊までしてしまいました。帆船で一晩中海に漂うという経験もしました。いや、すごいですね、ヨット。オトーリまでできるんですね。豚の丸焼きも食べました。女性の方朗報です。コラーゲンでお肌すべすべです。
そこで、お肌すべすべに酔いしれ、ヨットに乗りながら「あがいー、エド。あんたのせいで私は海嫌いになるところだったさいが」とつぶやいておりました。
この半年、私は「ドイツ商船R.J.ロベルトソン号宮古島漂着記」を読みながら、海の怖さを妄想していたのです。でも、今更ながら「エド!ちょっとまったぁぁ~!」気分なのです。
なぜなら船の旅があまりにも愉快だったからです。すごく楽しくて、このまま船の上で暮らしちゃってもいいかも、と思うほどでした。かなり本気で。老後は船が買えるようにヨット貯金しようと心に誓いました。東京に戻って来てからというものネットで中古ヨットを検索してしまいました。買えるまでに300年ほどかかりそうですが。
って、わけで、今回はエドに辛口かも、と書き始める前に思いつつです。この文章は、ロベルトソン号がどんどん破壊されて行く様子です。
その命令を伝えようとした瞬間、途方もなく大きな高波が船首シャショウの真下から押し寄せ、船の前部が一瞬海に丸呑みにされ、第二シャショウと前ショウそしてトーガンマストの帆桁はまるでマッチ棒のように倒れてしまったのである。「ドイツ商船R.J.ロベルトソン号宮古島漂着記」
と、いう記述がある。なんというか、こういう危機的状況でもしっかり全体を把握してたのね、と思うとエドのすごさも感じる。30分ほどたって、状況を立て直したかと思われたその時、
フォアマスト最下の帆桁も中央で割れ、トーガンマストと共に海に落ちてしまった。(同書)
私は船の細かな名前がさっぱりわからないのですが、それはやはり相当まずかったようで、嵐が過ぎ去ったあとも
船は最早使い物にならず、我々は舵なしで波の上を漂っていた。(同書)
らしい。その間、船員一人は波にさらわれ、一人は足の骨を骨折し、エド自身も
上顎の三つの歯が取れ、上唇を貫き、まだ髭にかかったままだった。(同書)
というのだから、非常に壮絶だったのだろうと思う。7月8日に台風に巻き込まれて、10日まであれやこれやと書き綴っている。まぁ確かに台風は一泊二日系ではあるので、地獄の40時間くらいじゃなかったかと思う。
そして、空がいくら晴れていようとも高波は続いたのかもしれない。
そして、その他に亡くなった人が一人いた。名前は大工のオフヘルト。
丈夫で、まだ若く、船員のなかでも一番勤勉な働き者であった。我々のこれからの航海で欠かせない存在であったのに(同書)
エドはどうも好き嫌いが激しかったらしい。それは人間に対してもそうだったようだ。後にいろいろ記述が出てくるが、そこでも意地悪い視線で人物評価をしている。でも、好きな人は好きらしく、それもあからさまなので興味深いです。エド、まるで宮古の人みたいだよ。
いろいろ書いていて、段々「エドに悪いなぁ」という気がしてきました。現代の私はヨットでお気楽極楽を同じ海で楽しんだのだから。彼らが漂っていた海はまさしく私が行った場所じゃないかと思うからだ。今は天気予報もあるし、携帯電話もあるし、いろいろと救助のチャンスもあるけど、エドたちはまったくないんだよなぁ。
今回、少し高波も経験したのですが、私には無理!と叫びました。まず立っていられない。その中で、冷静に観察し指示を出したエドは、やっぱりすごいんじゃないかと思うのです。あ、あれ、私、エドに「あんたのせいで海が嫌いになるところだったじゃないよー」と悪態をついていましたが、エドへの尊敬の念の方が強くなってきました。
あ、今、ふと思ったけど「船酔いのひどい私がヨットに乗る事になったのも、もしかして運命だったかも」とまで思い始めました。あぁ神のお導きならぬエドのお導きでしょうか。やっぱりエドって偉大かも。
私の妄想恋愛はとどまる所を知りません。いやはや、すでに亡くなった相手にこれだけ悪態ついたり尊敬したりほとんど変態かもしれません。誰か止めてください。
エドたちが出航したのが7月の3日、台風の終焉が10日。その日までの日記までをさくっとまとめました。
なんとその次の日の11日の日記が14ページ。膨大な量です。読み応えがあるけど、それにもまして、エドの激しい心の動きに目眩がします。遠くに見える漁民に悪態をつきつつも反省し、内省し、傷つきさまよえるエド。引っ張り過ぎという声も聞こえますが、いやいや、これは大事なフェーズなので、来月またじっくりと!
最後に個人的な感想です。エドを知らなければ、ヨットなんて一生のる事もなかったような私が、137年後にエドと同じ海を漂うことになったなんて。きっとそんな偶然がいたるところに拡散しているのが宮古島らしいなぁ、いや宮古人らしいかも、なんて思っています。やっぱりエドmy loveに帰結してます・・・。
【参考書籍】
「ドイツ商船R.J.ロベルトソン号宮古島漂着記」
財団法人博愛国際交流センター 編集・発行 平成7年初版
※残念ながら入手困難な稀覯本ですが、図書館などで読むことが出来ます。
※さいが族酋長・宮国優子へのメッセージや質問、感想、コラムテーマなどお寄せ下さい。
※サイドバーの「お便りはくまんかい(お便りはコチラから)」まで!。
※「思えば宮古」バックナンバーはコチラ
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◆宮国優子 公式Blog
『宮国優子の寝ても覚めても宮古島!!』
~宮古島 文化広報部 東京営業所 所長 宮国優子 営業日報~
http://miyako3892.ti-da.net/
※宮国優子的なの日々をつれづれに更新中~!
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(文+写真:宮国優子 編集:モリヤダイスケ)
って、わけで、今回はエドに辛口かも、と書き始める前に思いつつです。この文章は、ロベルトソン号がどんどん破壊されて行く様子です。
その命令を伝えようとした瞬間、途方もなく大きな高波が船首シャショウの真下から押し寄せ、船の前部が一瞬海に丸呑みにされ、第二シャショウと前ショウそしてトーガンマストの帆桁はまるでマッチ棒のように倒れてしまったのである。「ドイツ商船R.J.ロベルトソン号宮古島漂着記」
と、いう記述がある。なんというか、こういう危機的状況でもしっかり全体を把握してたのね、と思うとエドのすごさも感じる。30分ほどたって、状況を立て直したかと思われたその時、
フォアマスト最下の帆桁も中央で割れ、トーガンマストと共に海に落ちてしまった。(同書)
私は船の細かな名前がさっぱりわからないのですが、それはやはり相当まずかったようで、嵐が過ぎ去ったあとも
船は最早使い物にならず、我々は舵なしで波の上を漂っていた。(同書)
らしい。その間、船員一人は波にさらわれ、一人は足の骨を骨折し、エド自身も
上顎の三つの歯が取れ、上唇を貫き、まだ髭にかかったままだった。(同書)
というのだから、非常に壮絶だったのだろうと思う。7月8日に台風に巻き込まれて、10日まであれやこれやと書き綴っている。まぁ確かに台風は一泊二日系ではあるので、地獄の40時間くらいじゃなかったかと思う。
そして、空がいくら晴れていようとも高波は続いたのかもしれない。
そして、その他に亡くなった人が一人いた。名前は大工のオフヘルト。
丈夫で、まだ若く、船員のなかでも一番勤勉な働き者であった。我々のこれからの航海で欠かせない存在であったのに(同書)
エドはどうも好き嫌いが激しかったらしい。それは人間に対してもそうだったようだ。後にいろいろ記述が出てくるが、そこでも意地悪い視線で人物評価をしている。でも、好きな人は好きらしく、それもあからさまなので興味深いです。エド、まるで宮古の人みたいだよ。
いろいろ書いていて、段々「エドに悪いなぁ」という気がしてきました。現代の私はヨットでお気楽極楽を同じ海で楽しんだのだから。彼らが漂っていた海はまさしく私が行った場所じゃないかと思うからだ。今は天気予報もあるし、携帯電話もあるし、いろいろと救助のチャンスもあるけど、エドたちはまったくないんだよなぁ。
今回、少し高波も経験したのですが、私には無理!と叫びました。まず立っていられない。その中で、冷静に観察し指示を出したエドは、やっぱりすごいんじゃないかと思うのです。あ、あれ、私、エドに「あんたのせいで海が嫌いになるところだったじゃないよー」と悪態をついていましたが、エドへの尊敬の念の方が強くなってきました。
あ、今、ふと思ったけど「船酔いのひどい私がヨットに乗る事になったのも、もしかして運命だったかも」とまで思い始めました。あぁ神のお導きならぬエドのお導きでしょうか。やっぱりエドって偉大かも。
私の妄想恋愛はとどまる所を知りません。いやはや、すでに亡くなった相手にこれだけ悪態ついたり尊敬したりほとんど変態かもしれません。誰か止めてください。
エドたちが出航したのが7月の3日、台風の終焉が10日。その日までの日記までをさくっとまとめました。
なんとその次の日の11日の日記が14ページ。膨大な量です。読み応えがあるけど、それにもまして、エドの激しい心の動きに目眩がします。遠くに見える漁民に悪態をつきつつも反省し、内省し、傷つきさまよえるエド。引っ張り過ぎという声も聞こえますが、いやいや、これは大事なフェーズなので、来月またじっくりと!
最後に個人的な感想です。エドを知らなければ、ヨットなんて一生のる事もなかったような私が、137年後にエドと同じ海を漂うことになったなんて。きっとそんな偶然がいたるところに拡散しているのが宮古島らしいなぁ、いや宮古人らしいかも、なんて思っています。やっぱりエドmy loveに帰結してます・・・。
※ ※ ※
【参考書籍】
「ドイツ商船R.J.ロベルトソン号宮古島漂着記」
財団法人博愛国際交流センター 編集・発行 平成7年初版
※残念ながら入手困難な稀覯本ですが、図書館などで読むことが出来ます。
※さいが族酋長・宮国優子へのメッセージや質問、感想、コラムテーマなどお寄せ下さい。
※サイドバーの「お便りはくまんかい(お便りはコチラから)」まで!。
※「思えば宮古」バックナンバーはコチラ
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『宮国優子の寝ても覚めても宮古島!!』
~宮古島 文化広報部 東京営業所 所長 宮国優子 営業日報~
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※宮国優子的なの日々をつれづれに更新中~!
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(文+写真:宮国優子 編集:モリヤダイスケ)
Posted by あんちーかんちー編集室 at 09:00│Comments(0)
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