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2010年04月30日

宮国優子の「思えば宮古」 第拾伍號

宮国優子の「思えば宮古」 第拾伍號
宮古島はかつてさまざまな名前で呼ばれて来ました。「密牙古」、「麻鈷山」、「太平山」・・・エドの時代の地図には「Ty-pin-san」と記され、これで「タイ・ピン・サン」と読まれていたようです。漢字を当てると「太平山」となり、山のない平たい島という宮古島のイメージそのままのような呼び名です。はからずも宮古へと漂着したエドが書き残した日記を紐解き、時を越えて当時の島の暮らしぶりに思いを馳せる宮国優子の旅はまだまだ続きます。あららがま パラダイス コラム 『思えば宮古』 第拾伍號。

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『博愛は美談 ~日記の中のエドゥアルド~』 巻の七
宮国優子の「思えば宮古」 第拾伍號
民家は1~2フィート高さの木の柱の上に建てられており、木と敷物から構成されている。

当時の島の様子を事細かに書いたエドは住まいについても書き残してあります。
この一文だけではわかりにくいのだが、木造といっていいのだろうか、ある意味、燃えやすそうな茶色のワンルームな感じが目に浮かぶ。続けて読むと、家は上も下も風が通るようになっているようだ。

敷物はタイピンサンでつくられているが、木材は前以て(まえもって)適切な長さに切られて、琉球諸島から運ばれてくる。木の柱の上に薄い梁が置かれ、またその梁の上に薄い板がのせられている。板の上にまず藁が敷かれ、その上に藁が詰められた敷物が敷かれている。直径約四インチの木の柱約十二本が天井を支えている。木材の上に薄い敷物を敷いたのが天井部分となっている。

思い出すのは1970年代前半、親戚の家で目がさめた時の風景。高い梁に向かって藁が高く積まれていた。今でも目に焼き付いています。それがエドが見た家の発展形だろうなぁと思う。その家は、いつも風がそよそよと吹いて、すだーす(涼しい)だった気がします。残念ながら、今は目にする事はほとんどありません。

宮国優子の「思えば宮古」 第拾伍號昔の沖縄風水にのっとった形だったんだろうと思います。風水は人間と自然を同調させる心地よい空間を作り出す技術だから。あの風がそよそよぶりは今も快感として残っている。
宮古にツーバイフォーの家が新築されていていくなかでも、今もまだまだ沖縄風水をもちいた家が残っている。そういう家はやっぱりすだーすで、気持ちが良い。

沖縄では最近、独特の沖縄風水本がベストセラーになっています。全国版の風水とはまた少し違っていて、沖縄の自然に合ったものがあるんだろうなぁと思います。家の造りって、当たり前だけど普段生活するので無意識に呼びかけるような力があるのかもしれない。家の造作は案外大事なのだと思う。天井の高い家に子どもを住まわせると頭が良くなるっていうものね。

部屋の大きさは、約三十平方フィートで、高さは六フィート、中央部の高さは八フィートである。その上に高さ二十五フィートのピラミッド型の屋根がある。この屋根は斜めに置かれた棒に靭皮で固定されている藁の層から構成されている。斜めに配置された棒は最上部で寄せ集められ、そこには大量の藁と葦がおかれている。これらの藁と葦は、雨水を避け、また、その重さで頻繁に吹く嵐から屋根を保護する目的から互いに結び付けられて、ドームのような形をなしている。

これを読むと、部屋はとても小さな場所に感じる。三十平方フィートというと、2~3畳のイメージだ。のちに、部屋が3つに別れていると書いてるので、小さな家だったんだろうと思う。最初にエドたちが連れて行かれたのは番所と言われている。特に人が住んでいるわけではないので、生活用品もないだろうし、この小ささに合点はいく。台所も別棟だったようだ。

小さな別棟には、台所があり、いくつかの大きな石の間で木を燃料にして、空気を送り込みながら火を起こす。そして、中国の全ての民族に共通しているように、火の上には米を炊くための大きな鉄の釜が置かれる。また、フォークの形をした緑の枝には茶を沸かすためのヤカンが掛けられている。

宮国優子の「思えば宮古」 第拾伍號嵐のあとに、よくこんな情報収集力が残っていたなと思うくらい、元気なエド。どの本を読んでも、この時代の人たちは琉球諸島を、中国の離れ島のようなイメージでとらえているようだ。三十年後の1904(明治37)年、バルチック艦隊もこの辺りを通りすがったとき、那覇の帆船乗りを敵とみなさなかったようで攻撃すらしていない。日本人だと思っていれば、撃退しているという緊張感があったはずなのに。詳しくは、「坂の上の船 -水平線の彼方にあるもの」をどうぞ。
エドは日々待遇改善(笑)していく様子も書いている。

我々は最初はそのなかの一つに寝泊まりしたが、後には、私専用の一部屋を別にもらい、その部屋を食料品を置くのにも使った。

と、書いてあるくらいだから、エドは振る舞いも船長らしかったにちがいない。専用の部屋があるってことはエドは特に丁寧にあつかってもらっていたのだろう。

外壁は主として、丈夫な葦を編んだもので、ところどころ上下の梁に設けられた溝を滑らせて開閉する薄い戸がある。部屋自体は3つの空間に分けられている。

宮国優子の「思えば宮古」 第拾伍號いわゆる障子のような引き戸で、部屋が別れていたのでしょう。そして、まわりが丈夫な葦と書いているので、普通の民家よりは随分しっかりつくってあったように思う。生きていたら100歳くらいのおばあちゃんに聞いた話だが、台風のたびに海に近い民家はふっとんでいたと聞いたことがある。番所がふっとんだら話にならないよなぁ。ある意味堅牢だったのでしょう。

今回の引用は、最初の数日のことをエドが思い返して書いている。この日から十日後には、テーブルと椅子を自力で作り始めてテーブルクロスかけて食事を始めたり、島民と過ごす時間が長く、島民の言葉がある程度わかったと言い始めている。そのうえ洗濯したりチェスの道具を作ったりなんだか楽しんでいる。島民と船から荷物を引き上げたり、散歩まで始めている時点で、自分の生死を島民に握られていると思っていないようだ。それはコミュニケーションがうまくいってたんだろうと察することができる。

他の資料を読んでみると、一般の島民は戦々恐々としていたようなのだが、位の高い人達が毎日出入りしてエドをもてなしていたようだ。それはエドにとってもうれしいことであり、エドから西洋の知恵を学ぶ島の人達にも良い影響を与えて行く。時間に比例してお互いの距離がつまっていく。本当の文化交流ってそんなものかもしれない。
宮国優子の「思えば宮古」 第拾伍號言葉もわからない(はず)なのに、この辺りから宮古の風景を自分の考えを交えながらどんどん書き記して行くエド。この文章は家族にあてたものだったようで出版する気はなかったようだ。時折、読んでいて「自分の見たもの、感じたことを書く」自分勝手なエドに心を打たれる。
あんなに怪我をしても「生きる」ということにしつこいエド。彼が書き記したひとつひとつの文章が私にとって毎度垂涎なのだ。祖父母もしらなかった時代を知る事ができる。琉球政府が残した無駄を省いた文章でなく、無駄ばかりともいえるエドの文章は上質のエッセイなのだ。

ありがとう、エド。いつも一人タイムスリップしています。おかげさまで、先祖への感謝の念も増します。なぜか信心深くなっていきます・・・。

※     ※     ※

【参考書籍】
「ドイツ商船R.J.ロベルトソン号宮古島漂着記」
財団法人博愛国際交流センター 編集・発行 平成7年初版
※残念ながら入手困難な稀覯本ですが、図書館などで読むことが出来ます。

【関連記事】 かんちーな特集
「博愛美談」ドイツ商船ロベルトソン号遭難事件

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Posted by あんちーかんちー編集室 at 09:00│Comments(0)思えば宮古
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