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2010年01月12日

ロード トゥ ヘコテン ~下川凹天への道~ 第三話

ロード トゥ ヘコテン ~下川凹天への道~ 第三話
2009年11月。宮古に生まれた奇才、漫画家・下川凹天の企画展が開催された。
遡ることおよそ一年前、凹天の軌跡を巡る旅へと導かれた、日曜研究家・幸地郁乃。慣れない土地での2泊3日の強行軍は熾烈を極める。宮古島と凹天を結ぶ赤い糸を手繰りよせた彼女は、いったいそこでなにを見たのだろうか。いよいよ企画展の開催へ向けた熱意が燃え上がる、『ロード トゥ ヘコテン』第三話。今回もサービスサービス!?。

※    ※    ※

2008年9月、下川凹天の足跡を訪ねる旅の2日目。きょうは東京在住の旧友と一緒に、埼玉と千葉を回ります。
早朝、都内を出発。大宮公園駅で降り、さいたま市立漫画会館へ。日本の近代漫画を確立したと言われる北澤楽天の住居跡を改装した記念館です。
幼い時に父を亡くして宮古島を離れ、鹿児島暮らしを経て東京の伯父に引き取られた下川貞矩少年は、1906(明治39)年、15歳で楽天の内弟子第1号となり、住み込みで漫画を学びました。師匠「楽天」の1文字をとって「凹天」というペンネームを授かり、そこから彼の漫画家人生がスタートしたのです。
ロード トゥ ヘコテン ~下川凹天への道~ 第三話常設展示コーナーには楽天の作品や写真が豊富で、当時の漫画界のようすが分かります。漫画家仲間と一緒に収まった写真を見つけました。愛嬌たっぷりに笑う楽天の隣で、凹天はちょっぴりニヒルな、照れたような笑みを浮かべています。案外恥ずかしがり屋だったのかもしれません。
漫画会館の周辺は「盆栽町」と呼ばれ、その昔、盆栽や造園業者が多数住んでいたことに由来する地名だそう。家々の植栽が綺麗に苅り揃えられ、鳥のさえずりや虫の声も聴こえる、美しい住宅街でした。

ロード トゥ ヘコテン ~下川凹天への道~ 第三話東武野田線で愛宕駅到着。改札を抜けると、野田市役所の広報担当・Kさんと、凹天晩年の弟子・出野元山さんが待っておられました。
すぐに、改札の目の前にある和菓子屋へ。出野さんの漫画家仲間で、同じく凹天と交流のあった、もろ・ただしさんが営む店です。もろさんはパソコンの前で、凹天に関する資料データを整理中でした。
ロード トゥ ヘコテン ~下川凹天への道~ 第三話店を出て、徒歩1~2分で茂木邸跡へ。ここは凹天が晩年を過ごした場所で、野田を代表する企業・キッコーマン(当時は野田醤油株式会社)社長・茂木房五郎の自邸でした。今は区画整理のため屋敷は取り壊され、鉄柵に囲まれた広い更地を見るばかりですが、隣地に年季を感じさせる小さな祠がありました。「このあたりに、凹天が住んでいた離れが建っていたんですよ」と教えてもらいました。

ロード トゥ ヘコテン ~下川凹天への道~ 第三話次に向かったのは興風会館。昭和の初めに茂木家が出資して建てた、劇場ホールや地下ギャラリー併設の近代建築です。凹天が「野田まんがクラブ」のメンバーと合同作品展を開いたこともあるそうです。私と旧友は、宮古島ではまず見たこともない、そのレトロモダンな佇まいに感心しきりでした。茂木家は地元の芸術文化の興隆を目指し、さまざまな支援を行ったとのこと。いまでいう企業メセナのさきがけです。

興風会館のすぐそばにある「こな金」という手打ち蕎麦屋で昼食をごちそうになりました。凹天も、時おりこの店に来ていたとのこと。そこで出野さんから、凹天に関する思い出をお聞きしました。野田の若者たちが、父親ほど年の離れた凹天を、漫画界の大先輩と慕って交流していたようすが伺えました。

凹天は生涯2度結婚をし、幼い1人息子を亡くしています。最初の結婚は大正初期、流行漫画家として華々しく活躍していた20代半ばのとき。その頃(1917年)に凹天は、日本で初めて商業アニメーション映画を製作・劇場公開しています(手塚治虫は1964年にアニメ映画「鉄腕アトム 宇宙の勇者」を発表していますが、それより約50年も前の話です!)。

ロード トゥ ヘコテン ~下川凹天への道~ 第三話40代の終わり頃、妻・たま子に先立たれますが、菅原なみをという女性と再婚し、昭和20年代の後半に東京都内から千葉県へ移り住みました。野田市に転入したのは60歳のときです。その頃には凹天も、漫画家としての第一線を退いていました。なみをは、夫婦2人の生活を内職などで支えた、しっかり者の奥さんだったそうです。彼女は茂木家の親族と親しく付き合っていましたが、凹天72歳の時に亡くなりました。残された凹天を不憫に思った茂木家の人々が、屋敷内の離れに彼を住まわせることになったそうです。凹天にはお茶目な一面もあったようで、茂木家の子供たちが凹天を漫画家だと知り、「鉄腕アトムの絵を描いて」とせがんだところ、ちゃんと描いてあげた、というエピソードも残っています。

昼食後、野田市郷土博物館・市民会館へ移動。ここも茂木家に関わる建物で、古い日本家屋をそのままに、現在では市民サークルなど、生涯学習活動の場となっています。昔のままの電話ボックスや台所など、とても趣がありました。

昔の客間を利用した応接室へ通されて、野田市が所蔵する凹天の原画や、野田市から文化功労等で表彰された際の賞状など、関連資料を閲覧しました。最晩年の凹天は、野田市に関する歴史読物の挿絵などを手がけていたようで、チラシの裏などへの丹念な下書きが残っています。
また、茂木夫妻に贈ったという肖像画の下絵もありました。お世話になっていた夫妻への、深い感謝の気持ちが込められているような絵でした。「おそらく、下川さんは、文人が大切にもてなされた旧きよき時代の最後の人かもしれません」というようなことをKさんが話し、私たちもしみじみとうなずいたのでした。凹天は1973年、83歳でこの世を去りました。
ロード トゥ ヘコテン ~下川凹天への道~ 第三話電車の時間も迫り、もろさんのお店へ顔を出しました。もろさん・出野さんが若い頃、凹天と撮った写真を何枚かいただきました。おみやげに野田名物の醤油せんべいをいただき、後ろ髪を引かれる思いで私たちは次の目的地へ向かいます。
次は、新習志野へ、漫画・諷刺画史研究家の清水勲さんと待ち合わせです。途中、電車を間違え、強行日程ゆえに時間に遅れて冷や汗でしたが、旧友が機転をきかせてくれたおかげで、何とかお会いできました。
ロード トゥ ヘコテン ~下川凹天への道~ 第三話清水勲さんは、これまでに100冊近い著書を上梓しているこの分野の第一人者。ご自身が主宰している日本諷刺画史学会「諷刺画研究」誌のバックナンバーを提供してくださいました。その号では見開き2頁にわたり凹天自叙伝などを紹介しています。
凹天はその中で、自身が「琉球人」であると明言し、宮古島での思い出についても触れていました。これこそ私が読みたかった、島に関する思いです!。清水さんは、凹天が似顔絵で大変に評価の高かったこと、著作権やアニメーションの歴史についても調べておいたほうがよい、などなど、的確なアドバイスをくださいました。

凹天の足跡をたどった私たちは、きょうの出来事を帰りの電車で振り返りました。

「・・・なんかさ、凹天さん、リリー・フランキーと印象がかぶるよね」。

旧友のこの一言に、うわあ、そうかもーと盛り上がる私でした。どことなく漂うダメっぷりとか可笑しさとか、そういったものが、です。
まだまだあちこち回ってみたい気持ちがありましたが、2日目も無事終了。

翌日は朝一番の飛行機で那覇へと飛び、沖縄キリスト教学院大学のO教授に面会しました。O教授は、10数年前に東京で研修中、凹天のことを知り、詳しく取材研究。鹿児島あるいは広島生まれなど諸説あった凹天が、宮古島生まれであることを確定した、博覧強記のすごい方です。教授は研究当時、凹天の一番弟子だった故・石川進介さんとやりとりをしており、その中で凹天が「一度宮古へ帰りたい」と常々話していたことなども知ったそうです。
そこで、私の心はまたもや「ああ、凹天さん・・・やっぱり宮古島のことを気にかけていたのね」と勝手な妄想モードに。
ロード トゥ ヘコテン ~下川凹天への道~ 第三話2泊3日の中身の濃い旅を終えた私は、興奮冷めやらぬまま概要をまとめ、上司と博物館に報告したのでした。これで凹天の作品などの所在はだいたいつかめました。あとは宮古島での里帰り展が開けるかどうか、博物館の判断を待つのみです。
つづく  

※    ※    ※

下川 凹天(しもかわ へこてん)
漫画家。1892年5月2日、宮古島に生まれ、後に凹天の原風景となる幼少期を過ごした。
1917年、日本初となる国産アニメーション映画『芋川椋三玄関番之巻』を発表。
1973年5月26日没。享年満81歳。

◆施設一覧
さいたま市立漫画会館 埼玉県さいたま市北区盆栽町150 地図はこちら 
興風会館 千葉県野田市野田250 地図はこちら
野田市郷土博物館 千葉県野田市野田370-8 地図はこちら

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「凹天物語」~ロード オブ ザ ヘコテン~(「宮古生まれの奇才 漫画家・下川凹天」展レポート)

幸地郁乃(こうち いくの)
1970年、宮古島生まれ。旧・下地町(現・宮古島市)と、旧・具志川市(現・うるま市)のハーフであるが、方言使いはどちらも中途半端者。
宮古高校→東京の和光大学を卒業後に帰郷。地元新聞や沖縄本島の情報紙などで取材・編集記者として働く。現在は地方公務員。30代の初め頃、さいが族編「読めば宮古!」(ボーダーインク刊)に、班長(←そんなのがいたんです!)として参加。酋長の宮国優子とは、いつも「あんた、次は何するべきか」と情報交換しては妄想にふける間柄。2008年より日曜大工ならぬ日曜研究家として、下川凹天を追っかけている。

(文+写真:幸地郁乃 編集:モリヤダイスケ)





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Posted by あんちーかんちー編集室 at 09:00│Comments(5)ロードトゥヘコテン
この記事へのコメント
このような作家さん(宮古出身!)がいらっしゃったんですね。

それにしても、実際に関東まで追いかけて取材するとは凄いです。
Posted by KUWA(ryuQ編集部) at 2010年01月16日 12:28
>KUWAさま
ありがとうございます。
私も2年前に偶然ネットで凹天さんを知ったのですが、
調べていくうちに宮古との関わりがどんどん分かってきて興味深くなりまして…。
もっともっとみなさんに知ってほしい存在です。
ぜひ一度、ryuQさんでも取り上げていただけたら嬉しいです!
Posted by 幸地郁乃 at 2010年01月17日 02:06
こんにちは。初めて、ここにたどり着きました。お元気ですか。
さて、野田市ではサクラの蕾もふくらみつつある3月14日、出野さんの一周忌が金乗院で営まれ、私も末席に参列させていただきました。
いくのさんとお会いしてから、再び凹天さんのことが気になり、再調査も視野に入れながらと思っていた矢先、とある会合で、凹天さんがかつて住んでいた家主の方とばったり出会い、今やっている二つの「仕事」が片付いたら、再調査にのりだそうと思っています!!!
Posted by 広報担当?K at 2010年03月24日 20:12
>Kさま
ごぶさたしておりました!
先日、本WEBマガジンの編集長さんからコメントの件でご連絡いただいたのですが、
しばらく留守にしておりまして、大変失礼しました。
そうでしたか、もう出野さんの1周忌も済ませられたのですね。
私にとって、Kさんから出野さん、もろさんへと繋がったご縁は
ほんとうにかけがえのないものです。もろさんにも、ごぶさたをお詫びしなくては…。
実は、博物館での企画展をみた市民の方が、こんど何か企画を考えているようで、話が進めばそちらに関わることになりそうです。野田市と宮古島市の交流も構想にあるようですが、何かの形で実現できると楽しそうですね。
凹天さんの家主さんと出会われたとは、これも何かの縁でしょうか。
ぜひ、再調査お願いします!
Posted by 幸地郁乃 at 2010年04月02日 02:53
 やっと、清水公園のサクラが咲き始めました。昨日、また別の方から凹天さんに関する資料をいただきました。何だか、宮古での展示をきっかけに、今一度、凹天さんに関して調べなさい、という「指令」かも。現在ね広報紙に連載している山中直治さんの章が終わったら、考えてみましょうか。
Posted by 広報担当?k at 2010年04月02日 23:06
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