2010年09月03日
reef sound -来間島歳時記- №006
まだまだ残暑が厳しい島ですが、すでに農家は秋に向けての準備に入っているそうです。そんな秋の来間島は運動会や敬老会、豊年祭などのイベントシーズンをむかえます。そして島の行事とは切っても切り離せないのが、島唯一の学校です。今回の“葉っぱのつぶやき”は、二児の母でもある来間嫁の砂川葉子が、島の学校について熱く語ります。
※ ※ ※ ※
9月。新学期を迎えた島の子どもたちは、元気いっぱいに学校へと通い出しました。
来る、9月12日に行われる学校の運動会に向けて、子どもたちは毎日毎日、練習に張り切っています。そんな風に乗って聞こえてくる、行進曲やエイサーの太鼓に島の人たちの心も浮かれ始めています。
畑でごうらの植え付けの準備をする私と徳さんも、時折、手を休めてそんな音に耳を傾けています。ついつい畑の行き帰りなどには、音に誘われるように運動場の前の道を通ってしまうことも・・・。そんな運動場のガジュマルの木の下では、オジィ、オバァたちがユンタク中・・・。そこへひとり、またひとりと、島の人が現れてユンタクの輪に加わり、子どもたちの姿に目を細めています。
来間島の学校はたったひとつ。幼・小・中がひとつになった小さな小さな学校です。島の子どもたちにとって、秋の運動会は晴れ舞台であり、島の人たちの楽しみのひとつでもあります。そんな宮古島市立来間幼小中学校は、集落のほぼ中央に位置し、「宮古島市下地字来間一番地」にあります。
一番地、という地番からも判るとおり、学校が島にとっていかに重要な存在で、島のシンボルであると感じさせられます。
以前、島に嫁いで25年になるネェネェが「学校は島の心臓のようだ」と云っていたました。これは学校が島のほぼ中央に建っているという意味だけではなく、人の営みがある島には学校が必要であり、島の人々と学校は密接なつながりあり、地域と学校は連帯し一体化しているという、強い想いが詰まった言葉にほかなりません。
明治28年7月1日、下地尋常小学校来間文教場として開学され、今年で創立115年になる学校で、幼稚園、小学校、中学校がすべて同じ敷地内にあります。現在、幼稚園児2名、小学生4名、中学生6名、全校生徒はわずか12名の複式学級のとっても小さな学校です。けれど、そこにはとても大きな魅力があるのです!。
まぁ、親の贔屓目もあるでしょうが、来間の子どもたちは素直で明るく、おおらかでのびのびとしていると思います。さながら「二十四の瞳」と云ったところかな・・・。
園児から中学生まで、みんなとても仲がよく、まるで大家族の兄弟のように一緒に育ち共に学んでいます。そんな子どもたちを見ていると微笑ましくてたまりません。
小さな学校なので始業式はもちろん、遠足や運動会などの学校の行事や、地域行事には幼稚園児から中学生まで、いつも全員が参加して行われます。学年を超えた活動の中から、自然と上級生は下級生を手助けし、下級生は上級生を見習って、思いやりや自立心が育まれているのを感じます。
また、校長先生をはじめ総ての先生が、学校の子どもたち全員の名前と顔を知っています。子どもたちにとっては、先生までもが友達のような感覚で接していて仲がよいのです。
社会問題にもなっている、校内暴力やいじめ、不登校などはここにはありません。
当然、島の人たちも子どもたちのことはよく知っていて、どの子でも見かければ必ず声をかけます。
「おはよう。忘れ物はないかあ?」と投げかけると、「大丈夫さあ!いってきまーす!」と答えるし、「おかえり。学校はどうだったかあ?」と呼びかけると、「ただいまぁ。今日は体育でサッカーしたさよ。」と返事をする。そんな具合に学校の行き帰りには、集落のあちこちの家々から声がかかります。
青年なども車に乗っている時に、子どもの姿が見えれば自然にスピードを緩め、「おーい。どこにかあ?遊びになあ?」と呼び止め、子どもらと話し込んだりもすることも。運動会や学習発表会が近くなれば、誰もが「頑張れよー!」と励まし、子どもらが危ないことをしていれば「はい、○○!そんなことしたらダメさあ」と人の子であれ叱る。島の人にとっては、いつだって当たり前の風景なのです。
入学式や卒業式、学習発表会や駅伝大会、運動会といった学校行事には、もちろん島の人たちも一緒に参加します。温かな眼差しや拍手、励ましの声を惜しみなく送ってくれ、子どもらの成長をなによりも喜んでくれます。
来間島にはIターンで移住されたご家族も多くいますが、みな同じように声をかけます。生まれが違っても、みんな島の子、来間っ子だからです。島の人にとっては、どの子も大切な島の子どもたち。島の宝なのです。
島のみんなで子どもたちの成長を応援してくれています。子どもらの成長は、島の喜びであり、まさに島全体で子育てをしているような感じなのです。子どもたちは来間島の豊かな自然と、島の人の暖かい眼差しの中で明るく元気いっぱいに育っています!。
地域と学校の密接なつながりの中で、来間の子どもは代々育ち、学校と地域は共に歩んできたのだ。
来間に生まれた大人たちも元は子ども。来間の地で代々育って来たのです。そんな地域と学校の密接なつながりを物語るエピソードをひとつ。今年6月16日に行われた来間の海神祭(ハーリー)でこんなことがありました。
全8チームによる爬竜舟競漕のトーナメント戦で、決勝戦に勝ち上がったのは強豪の船主組合チームと、なんと大健闘の来間小中学校のチームでした。
大歓声の中で始まった決勝戦。スタートの合図とともに威勢よく飛び出す来間小中学校チーム。さすがに今日3戦目となる決勝戦では、疲れの色も濃く櫂さばきも威勢のいいかけ声とは裏腹にバラバラです。
一方、強豪の船主組合チーム舟はなぜかスタートラインからビクとも動きません。漕いでも漕いでも前に進まないのです。なんとなんと、ひとりの青年が舟を後ろからがっちりと押さえ込み、船主組合チームの舟を行かせないよう、青年が粋なイタズラをしかけていて、会場は大爆笑。
やっとのことで船主組合チームの舟を漕ぎ出すと、やはりさすが強豪チーム。ハンデも虚しくあっという間に、来間小中学校チームに追いつき、やがて追い越してしまいました。
舟のあつかいはお手のものの男衆6名があやつる船主組合チームに対し、来間小中学校チームは、小学4年生、6年生、中学1年生の男子生徒3名と、男性教諭が2名に、女性教諭が1名というメンバーでは、力の差は歴然としています。
最早、誰がどう見ても船主組合チームの優勝かと思いきや、あと数メートルでゴールというところで、船主組合チームは突然漕ぐのを止めて振り返り、来間小中学校チームが追い付くのを待っているではありませんか。
ようやく、来間小中学校チームが追い付いたところで、再びレースは動き出し、遂に決勝戦の勝敗の行方が決まります。結果は来間小中学校チームの大勝利。子どもたちの大健闘に島の人たちは拍手喝采の大歓声、指笛も響きます。来間小中学校チームに花を持たせてくれた、船主組合チームも元は来間っ子。ただ単純に相手を打ち負かして競いあうだけでなく、思いやりにも溢れた爬竜舟競漕は、誰もが笑顔になってしまう来間島の海神祭なのです。
海神祭だけでなく虫払い御願や、島最大の神事・ヤーマスプナカといった島の行事にも、子どもたちが学校ごと参加します。一丸となって神事を執り行う島という共同体の姿を見て、また、子どもたち自身も奉納舞踊などで神事へと参加することで、子どもたちの胸には、来間島の伝統や後継者としての誇り、郷土愛が育まれてゆくのです。
教科書には書かれていない地域社会からの学びがたくさんあります。これこそが島の学校の最大の特長と云えるでしょう。こうした素晴らしい学びは、生きる力=人間力を育てているのだと感じます。こんな素敵な学校はなかなかないと思いませんか?。
なぁんて、良いことばっか色々と云っちゃってますけど。やぱり、小さな学校ならではの悩みはあります。
娘を幼稚園に入れる時、同級生がいないことで寂しい思いをしないかとか、他の学校の子どもよりいろんな経験ができないんじゃないかなど、あれこれ悩みましたし、今も悩みは尽きません。
実は今、島の人の心に影を落とす大きな問題があります。それは宮古島市が掲げる学校規模適正化計画策定に向けた動きです。まだ決定した話ではありませんし、仮定のことなのであまり考えたくはありませんが、もしも、万が一、島の学校が統廃合されてしまったら、心臓を奪われた島は死んだも同然です。子どもの声のしない島なんて考えられません。そうなってしまえば島に帰って来る若者も、新しく入って来る方も減り、高齢化と過疎化が今以上に一気に進むことは確実です。後継者不足による島の伝統行事が継承できなくなり、地域社会も大きく荒廃することは明白です。
子どもが少ないから、少なくなっているからと、安易に統廃合することは、学校の歴史や地域の特性を無視しているとしか思えません。来間に限らず、他の過小規模校も地域の特性に溢れた素晴らしい学校ばかりです。子どもたちが、そして地域が望む以上は、学校の統廃合には反対です。
宮古島市自体が僻地であり過疎地域であり、また個性豊かな文化を形成している各々の地域性を考えた時、どのような教育が子どものためになるのでしょうか?。実際、宮古島市のおよそ7割の学校が小規模校及び過小規模校に該当しています。むしろ小さな学校こそが島の財産であり、他にはない教育環境だと誇っていいのではないでしょうか?。
去る8月13日に行われた教育懇談会で、私たちはそれを強く問いかけて訴えてきました。島のママ友(=父兄)、先輩嫁、先輩ママ、そしてなによりも学校を大切にしてきた島の人と共に分かち合い、これからも訴えて続け乗り越えて行きたいです。
この島にとって、小さな学校で学ぶ子どもたちこそが元気の源。毎日たくさんのパワーをもらっているのです。そう、それは多分、私だけではなく、島の人も、オジィも、オバァも、青年も、父兄も、きっと校庭の木々や花々も、そうだはずよ。私たちに元気を与えてくれるのは島の子どもたち、そして学校なのだ。島中に血液を巡らすポンプのような役目を果たす、まさしく心臓だ。これがまさしく島の小さな学校の大きな力なのです!。
砂川葉子(すなかわようこ)
1975年生まれ 岐阜県出身。
2000年に宮古・来間島へ来島。縁あって農家の「嫁」となり、徳さん(ダンナ)、娘(4歳)、息子(2歳)の4人で力をあわせ、のんびり楽しく島に根付いた暮らしをしています。
徳さん(ダンナ)
生まれも育ちも来間島のダンナは、良くいえばマイペース。明日、地球が滅亡するっと世界中がパニックになっていても、ふらっとひとりで釣り(特にイカ釣りに熱中)に出かけてしまうような人。
「来間島・徳さんちのごうら畑」
http://kurimajima.web.fc2.com/
※来間島産・ドラゴンフルーツ、好評販売中です!
「来間島・徳さんちのごうら畑」 てぃーだBlog
http://kurimagoura.ti-da.net/
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(文+写真:砂川葉子 編集:モリヤダイスケ)
一番地、という地番からも判るとおり、学校が島にとっていかに重要な存在で、島のシンボルであると感じさせられます。
以前、島に嫁いで25年になるネェネェが「学校は島の心臓のようだ」と云っていたました。これは学校が島のほぼ中央に建っているという意味だけではなく、人の営みがある島には学校が必要であり、島の人々と学校は密接なつながりあり、地域と学校は連帯し一体化しているという、強い想いが詰まった言葉にほかなりません。
明治28年7月1日、下地尋常小学校来間文教場として開学され、今年で創立115年になる学校で、幼稚園、小学校、中学校がすべて同じ敷地内にあります。現在、幼稚園児2名、小学生4名、中学生6名、全校生徒はわずか12名の複式学級のとっても小さな学校です。けれど、そこにはとても大きな魅力があるのです!。
まぁ、親の贔屓目もあるでしょうが、来間の子どもたちは素直で明るく、おおらかでのびのびとしていると思います。さながら「二十四の瞳」と云ったところかな・・・。
園児から中学生まで、みんなとても仲がよく、まるで大家族の兄弟のように一緒に育ち共に学んでいます。そんな子どもたちを見ていると微笑ましくてたまりません。
小さな学校なので始業式はもちろん、遠足や運動会などの学校の行事や、地域行事には幼稚園児から中学生まで、いつも全員が参加して行われます。学年を超えた活動の中から、自然と上級生は下級生を手助けし、下級生は上級生を見習って、思いやりや自立心が育まれているのを感じます。
また、校長先生をはじめ総ての先生が、学校の子どもたち全員の名前と顔を知っています。子どもたちにとっては、先生までもが友達のような感覚で接していて仲がよいのです。
社会問題にもなっている、校内暴力やいじめ、不登校などはここにはありません。
当然、島の人たちも子どもたちのことはよく知っていて、どの子でも見かければ必ず声をかけます。
「おはよう。忘れ物はないかあ?」と投げかけると、「大丈夫さあ!いってきまーす!」と答えるし、「おかえり。学校はどうだったかあ?」と呼びかけると、「ただいまぁ。今日は体育でサッカーしたさよ。」と返事をする。そんな具合に学校の行き帰りには、集落のあちこちの家々から声がかかります。
青年なども車に乗っている時に、子どもの姿が見えれば自然にスピードを緩め、「おーい。どこにかあ?遊びになあ?」と呼び止め、子どもらと話し込んだりもすることも。運動会や学習発表会が近くなれば、誰もが「頑張れよー!」と励まし、子どもらが危ないことをしていれば「はい、○○!そんなことしたらダメさあ」と人の子であれ叱る。島の人にとっては、いつだって当たり前の風景なのです。
入学式や卒業式、学習発表会や駅伝大会、運動会といった学校行事には、もちろん島の人たちも一緒に参加します。温かな眼差しや拍手、励ましの声を惜しみなく送ってくれ、子どもらの成長をなによりも喜んでくれます。
来間島にはIターンで移住されたご家族も多くいますが、みな同じように声をかけます。生まれが違っても、みんな島の子、来間っ子だからです。島の人にとっては、どの子も大切な島の子どもたち。島の宝なのです。
島のみんなで子どもたちの成長を応援してくれています。子どもらの成長は、島の喜びであり、まさに島全体で子育てをしているような感じなのです。子どもたちは来間島の豊かな自然と、島の人の暖かい眼差しの中で明るく元気いっぱいに育っています!。
地域と学校の密接なつながりの中で、来間の子どもは代々育ち、学校と地域は共に歩んできたのだ。
来間に生まれた大人たちも元は子ども。来間の地で代々育って来たのです。そんな地域と学校の密接なつながりを物語るエピソードをひとつ。今年6月16日に行われた来間の海神祭(ハーリー)でこんなことがありました。
全8チームによる爬竜舟競漕のトーナメント戦で、決勝戦に勝ち上がったのは強豪の船主組合チームと、なんと大健闘の来間小中学校のチームでした。
大歓声の中で始まった決勝戦。スタートの合図とともに威勢よく飛び出す来間小中学校チーム。さすがに今日3戦目となる決勝戦では、疲れの色も濃く櫂さばきも威勢のいいかけ声とは裏腹にバラバラです。
一方、強豪の船主組合チーム舟はなぜかスタートラインからビクとも動きません。漕いでも漕いでも前に進まないのです。なんとなんと、ひとりの青年が舟を後ろからがっちりと押さえ込み、船主組合チームの舟を行かせないよう、青年が粋なイタズラをしかけていて、会場は大爆笑。
やっとのことで船主組合チームの舟を漕ぎ出すと、やはりさすが強豪チーム。ハンデも虚しくあっという間に、来間小中学校チームに追いつき、やがて追い越してしまいました。
舟のあつかいはお手のものの男衆6名があやつる船主組合チームに対し、来間小中学校チームは、小学4年生、6年生、中学1年生の男子生徒3名と、男性教諭が2名に、女性教諭が1名というメンバーでは、力の差は歴然としています。
最早、誰がどう見ても船主組合チームの優勝かと思いきや、あと数メートルでゴールというところで、船主組合チームは突然漕ぐのを止めて振り返り、来間小中学校チームが追い付くのを待っているではありませんか。
ようやく、来間小中学校チームが追い付いたところで、再びレースは動き出し、遂に決勝戦の勝敗の行方が決まります。結果は来間小中学校チームの大勝利。子どもたちの大健闘に島の人たちは拍手喝采の大歓声、指笛も響きます。来間小中学校チームに花を持たせてくれた、船主組合チームも元は来間っ子。ただ単純に相手を打ち負かして競いあうだけでなく、思いやりにも溢れた爬竜舟競漕は、誰もが笑顔になってしまう来間島の海神祭なのです。
海神祭だけでなく虫払い御願や、島最大の神事・ヤーマスプナカといった島の行事にも、子どもたちが学校ごと参加します。一丸となって神事を執り行う島という共同体の姿を見て、また、子どもたち自身も奉納舞踊などで神事へと参加することで、子どもたちの胸には、来間島の伝統や後継者としての誇り、郷土愛が育まれてゆくのです。
教科書には書かれていない地域社会からの学びがたくさんあります。これこそが島の学校の最大の特長と云えるでしょう。こうした素晴らしい学びは、生きる力=人間力を育てているのだと感じます。こんな素敵な学校はなかなかないと思いませんか?。
なぁんて、良いことばっか色々と云っちゃってますけど。やぱり、小さな学校ならではの悩みはあります。
娘を幼稚園に入れる時、同級生がいないことで寂しい思いをしないかとか、他の学校の子どもよりいろんな経験ができないんじゃないかなど、あれこれ悩みましたし、今も悩みは尽きません。
実は今、島の人の心に影を落とす大きな問題があります。それは宮古島市が掲げる学校規模適正化計画策定に向けた動きです。まだ決定した話ではありませんし、仮定のことなのであまり考えたくはありませんが、もしも、万が一、島の学校が統廃合されてしまったら、心臓を奪われた島は死んだも同然です。子どもの声のしない島なんて考えられません。そうなってしまえば島に帰って来る若者も、新しく入って来る方も減り、高齢化と過疎化が今以上に一気に進むことは確実です。後継者不足による島の伝統行事が継承できなくなり、地域社会も大きく荒廃することは明白です。
子どもが少ないから、少なくなっているからと、安易に統廃合することは、学校の歴史や地域の特性を無視しているとしか思えません。来間に限らず、他の過小規模校も地域の特性に溢れた素晴らしい学校ばかりです。子どもたちが、そして地域が望む以上は、学校の統廃合には反対です。
宮古島市自体が僻地であり過疎地域であり、また個性豊かな文化を形成している各々の地域性を考えた時、どのような教育が子どものためになるのでしょうか?。実際、宮古島市のおよそ7割の学校が小規模校及び過小規模校に該当しています。むしろ小さな学校こそが島の財産であり、他にはない教育環境だと誇っていいのではないでしょうか?。
去る8月13日に行われた教育懇談会で、私たちはそれを強く問いかけて訴えてきました。島のママ友(=父兄)、先輩嫁、先輩ママ、そしてなによりも学校を大切にしてきた島の人と共に分かち合い、これからも訴えて続け乗り越えて行きたいです。
この島にとって、小さな学校で学ぶ子どもたちこそが元気の源。毎日たくさんのパワーをもらっているのです。そう、それは多分、私だけではなく、島の人も、オジィも、オバァも、青年も、父兄も、きっと校庭の木々や花々も、そうだはずよ。私たちに元気を与えてくれるのは島の子どもたち、そして学校なのだ。島中に血液を巡らすポンプのような役目を果たす、まさしく心臓だ。これがまさしく島の小さな学校の大きな力なのです!。
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砂川葉子(すなかわようこ)
1975年生まれ 岐阜県出身。
2000年に宮古・来間島へ来島。縁あって農家の「嫁」となり、徳さん(ダンナ)、娘(4歳)、息子(2歳)の4人で力をあわせ、のんびり楽しく島に根付いた暮らしをしています。
徳さん(ダンナ)
生まれも育ちも来間島のダンナは、良くいえばマイペース。明日、地球が滅亡するっと世界中がパニックになっていても、ふらっとひとりで釣り(特にイカ釣りに熱中)に出かけてしまうような人。
「来間島・徳さんちのごうら畑」
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※来間島産・ドラゴンフルーツ、好評販売中です!
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Posted by あんちーかんちー編集室 at 09:00│Comments(0)
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